怯気おじけ)” の例文
旧字:怯氣
それを見ると、矢部はすっかり怯気おじけづいて、逃げてゆこうとした。宮川は、その手をしっかと握って、自分の傍にひきつけて放さなかった。
脳の中の麗人 (新字新仮名) / 海野十三(著)
遠い所に置いてあったものが急に眼の前へ迫った感じで、励まされるよりは怯気おじけがついて、臀込しりごみするようになるのであった。
蓼喰う虫 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
遊佐はひて微笑を含みけれど、胸にはひしこたへて、はや八分の怯気おじけ付きたるなり。彼はもだえて捩断ねぢきるばかりにそのひげひねり拈りて止まず。
金色夜叉 (新字旧仮名) / 尾崎紅葉(著)
すでに、怯気おじけに襲われ、最初の気勢を失ってしまった他の山伏たちは、にとられて、魔王弁円のすさまじい後ろ姿を、ただ見送っている。
親鸞 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
といえば、しばし老人の顔を見つめた三の宮は、急に怯気おじけ立ったものらしく、わっと泣きだした。側近の者があわててなだめたが一向にきき入れぬ。
こんな大騒ぎをすりゃアどうしたってむこうが怯気おじけづいて引っこんでしまう。引っこまれてはこちらが大きに迷惑。
顎十郎捕物帳:22 小鰭の鮨 (新字新仮名) / 久生十蘭(著)
じつに、わが国は伊太利軍には一度も敗れたことはないのである。その歴史的信念を忘れ、決戦に怯気おじけだった、軍主脳部こそは千むちをうけねばならぬ。
潜航艇「鷹の城」 (新字新仮名) / 小栗虫太郎(著)
そう思うと、二人は何となく怯気おじけが付いて、足の進みもおのずとにぶって来たが、左内は頓着なしにその声を追って行った。怪しい声は嘲るようにう云った。
重ね重ねの怪しい蝶の振舞に、新蔵もさすがに怯気おじけがさして、悪く石河岸なぞへ行って立っていたら、身でも投げたくなりはしないかと、二の足を踏む気さえ起ったと云います。
妖婆 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
武帝はこれを見るとひどく怒った。李陵が博徳と相談の上での上書と考えたのである。わが前ではあのとおり広言しておきながら、いまさら辺地に行って急に怯気おじけづくとは何事ぞという。
李陵 (新字新仮名) / 中島敦(著)
がこの二晩の出来事で私もすこぶ怯気おじけがついたので、その翌晩からは、遂に座敷を変えて寝たが、そのは別に何のこともなかった、何でもその近所の噂に聞くと、前に住んでいたのが
女の膝 (新字新仮名) / 小山内薫(著)
な、貴辺あなた、こりゃかようなざまをするのが、既にものに魅せられたのではあるまいか。はて、宙へ浮いてあがるか、谷へ逆様さかさまではなかろうか、なぞと怯気おじけがつくと、足がすくんで、膝がっくり。
星女郎 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
「この辺でごぜえやす。この辺までくだって来ますと、あの旦那だんな様が、ワァーッ! と逃げ出しになったので、みんな怯気おじけづいて、出たア! と、いやもう大変な騒ぎで逃げ出したでがす」
墓が呼んでいる (新字新仮名) / 橘外男(著)
「なんだ、君は遠くにいて怯気おじけづいているのか、大丈夫だよ。相手は……」
流血船西へ行く (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
で、紀州の藩士たちは、怯気おじけづいた足を空にして、算を乱して退いた。
猫の蚤とり武士 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
「またも、敵の顔良が、陣頭へ働きに出ました。——あの通りです。顔良と聞くや、味方の士卒も怯気おじけづいて、いかに励ましても崩れ立つばかりで」
三国志:05 臣道の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「いま聴いてゾッとしているところです。……じっさい、ひとごとながら、こうなるといささか怯気おじけがつきます」
顎十郎捕物帳:24 蠑螈 (新字新仮名) / 久生十蘭(著)
このあいだの晩、槍突きに出逢って以来、辻駕籠屋の勘次は怯気おじけづいて商売を休んでいるらしかった。女房の悪態の途切れるのを待って、七兵衛はそっと声をかけた。
半七捕物帳:18 槍突き (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
おめくのを聞くと、残る者たちはにわかに怯気おじけづいて、わらわらともと来た方へ蜘蛛くもの子となって逃げ散った。
剣難女難 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
お糸はやはり狐の変化へんげで、その同類が自分に復讐を試みたのかと思うと、巳之助は急に怯気おじけが出て、惣身そうみが鳥肌になった。口では強そうなことを云っていても、彼は決してはらからの勇者でない。
半七捕物帳:52 妖狐伝 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
「劉表は一たん大兵を出そうとしたが、呉の孫策が、兵船をそろえ、江をさかのぼって、荊州を荒さん——と聞えたので、怯気おじけづいて、出兵の可否に迷っておる」
三国志:04 草莽の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
のみならず性の青年期には罪の意識に似た怯気おじけがあった。正宗白鳥氏ほどでもないが、正宗さんが何かで書いておられたのに近いものが自分の過去にも考え出される。
美しい日本の歴史 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
苦手にがてというのか、妙に、昨夜ゆうべ以来、怯気おじけが先に立って、足が前へ出ないのだった。
松のや露八 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
一角を除く以外の者は、もう怯気おじけに襲われてか、ともすると逃げ足にみえる。
鳴門秘帖:01 上方の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
姑息こそくな振舞い、卑怯な立ち合い、そんなものへ、つばきして生きてきた吉岡伝七郎だっ。——武蔵っ、仕合わぬまえに、怯気おじけを抱くようでは、伝七郎の前へ立つ資格はないぞっ、降りろそこを!
宮本武蔵:05 風の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)