八朔はっさく)” の例文
おまけに今年の秋は八朔はっさくと二百十日とおかと二度つづいた大暴おおあれで田も畑もめちゃめちゃ。こうなったら何も悪いことだらけで……。
籠釣瓶 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
森「八朔はっさくに荒れがないと米がとれやすとねー、どう云う訳でしょうなア、雨が氷っているのを天でちっとずつ削り落すのかね」
業平文治漂流奇談 (新字新仮名) / 三遊亭円朝(著)
滅法めっぽう暑かった年のことです。八朔はっさくから急に涼しくなりましたが、それでも日中は汗ばむ日が多いくらい、町の銭湯なども昼湯の客などは滅多にありません。
旧暦八朔はっさくのタノムの節供せっくのごときも、今は晩稲のまだ穂を出さぬものが多くなって、単に田をめまたは田の神さんたのみますなどと、わめいて巡るだけの村もあるようだが
海上の道 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
みずのえだのかのとだの、八朔はっさくだの友引だの、つめを切る日だの普請ふしんをする日だのとすこぶうるさいものであった。代助は固よりうわの空で聞いていた。婆さんは又門野の職の事を頼んだ。
それから (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
その年の八月一日、徳川幕府では、所謂いわゆる八朔はっさくの儀式を行う日に、修理は病後初めての出仕しゅっしをした。そうして、そのついでに、当時西丸にしまるにいた、若年寄の板倉佐渡守を訪うて、帰宅した。
忠義 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
こうがいの頭がありきたりの耳掻き形じゃなくて、紅い卍字鎌の紋になっているだろう。それが、朋輩だった小式部こしきぶさんの定紋で、たしか、公方様お変りの年の八朔はっさくの紋日だと思ったがね。
絶景万国博覧会 (新字新仮名) / 小栗虫太郎(著)
もっとも二百十日や八朔はっさくの前後にわたる季節に、南洋方面から来る颱風がいったん北西に向って後に抛物線ほうぶつせん形の線路を取って日本を通過する機会の比較的多いのは科学的の事実である。
厄年と etc. (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
三月十二日に老中ろうじゅう土井どい大炊頭おおいのかみ利位としつらを以て、抽斎に躋寿館講師を命ぜられた。四月二十九日に定期登城とじょうを命ぜられた。年始、八朔はっさく、五節句、月並つきなみの礼に江戸城にくことになったのである。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
写本『温古新聞記』に曰く「八月十日前夜通し大降りにて今朝北風にて大降四ツ時頃風替り南に相成り大嵐おおあらしに相成る。天保四年巳八朔はっさくの大嵐より此方の大荒のよし所々破損多分有之これあり。昼後より晴。日当り又曇り、大風吹き夕七ツ時前又々雨降り雷鳴致す也。」
下谷叢話 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
八朔はっさくの宵から豪雨になって亥刻よつ(十時)近い頃は漸く小止みになりましたが、店から届けてくれた呉絽ころの雨合羽は内側に汗を掻いて着重りのするような鬱陶しさ——。
ことに、了哲りょうてつが、八朔はっさくの登城の節か何かに、一本貰って、嬉しがっていた時なぞは、持前の癇高かんだかい声で、頭から「莫迦ばかめ」をあびせかけたほどである。彼は決して銀の煙管が欲しくない訳ではない。
煙管 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
卯月うづき八日(旧四月八日)の花の日にはじまり、八月一日の八朔はっさくをおわりとして、毎日それだけの昼寝を、働くひとたちの権利のように思っている地方は今でも多く、ヒノツジという言葉が日の頂上
母の手毬歌 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
八朔はっさくの遊女のように、全身悉く真っ白な中に、髪との黒さと、唇ともすその紅さだけを点じたのが、比類を絶した凄まじい効果になって、まさに「聊斎志異」の中から脱出した
猟色の果 (新字新仮名) / 野村胡堂(著)
香川県には有名な八朔はっさく獅子駒ししごまがある。
木綿以前の事 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
銭形の平次も、この珍客の声を聞いて、あわてて浴衣ゆかたの肌を入れながら出て来ました。妙に蒸し暑い日、八朔はっさくはとうに過ぎましたが、江戸はなかなか涼風すずかぜの立つ様子もありません。
七五 八朔はっさく
年中行事覚書 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
佐吉夫婦を怨んで、よく似合うと言われた八朔はっさく白無垢しろむくを着て、雪の夜を選んで仕返しに来るのも無理はない。——これだけ話せばあの外から雨戸を叩くのは、誰だかよく解るだろう。
吉原なかで、花魁おいらん八朔はっさくに着る白無垢だよ。三輪の、お狐様じゃないようだね」