下総しもふさ)” の例文
旧字:下總
君は京都へ往つてそれを受け取つて、彦根にゐる兄下総しもふさやしきへ往つて大林権之進ごんのしんと云ふものに逢つて、詩文稿に墓誌銘を添へてわたしてくれ給へ。
大塩平八郎 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
と是から急に手紙を書いて下総しもふさしも矢切村へ出し、どうか伊之助さんの方へはなしを附けてくれろと云うので、早速矢切の叔母さんが出てきました。
唯その日禅超は、錦木のもと金剛経こんがうきやう疏抄そせうを一冊忘れて行つた。津藤が後年零落して、下総しもふさ寒川さむかはへ閑居した時に常に机上にあつた書籍の一つはこの疏抄である。
孤独地獄 (新字旧仮名) / 芥川竜之介(著)
此の犬養春枝はけだし万葉集に名の見えてゐる犬養浄人きよひとすゑであらう。浄人は奈良朝に当つて、下総しもふさ少目せうさくわんを勤めた人であつて、浄人以来下総の相馬に居たのである。
平将門 (新字旧仮名) / 幸田露伴(著)
下総しもふさ市川いちかは中山なかやま船橋辺ふなばしへん郊行かう/\興深きようふかからず、秋風あきかぜくさめとなるをおぼえたる時の事にそろ。(十七日)
もゝはがき (新字旧仮名) / 斎藤緑雨(著)
そして、それは毎年、五月の端午たんごのお節句が過ぎた頃である。その頃になると、河原の上に川千鳥の鳴き叫ぶ声を聞くのだが、川千鳥は下総しもふさの海の方から、鮎の群れを追いながら空をかけってくるのだ。
楢の若葉 (新字新仮名) / 佐藤垢石(著)
「兄さんなら、下総しもふさにいらっしゃる筈、嘘でありんしょう」
下総しもふさの国葛飾郡かつしかのこほり真間ままさとに、かつ四郎といふ男ありけり。
磯松の幹のあひだに大海のいさり船見ゆ下総しもふさの浦
舞姫 (新字旧仮名) / 与謝野晶子(著)
下総しもふさ
のきばすずめ (新字旧仮名) / 野口雨情(著)
手前は長く正当に勤めてくれたから誠に暇を出すのも厭だけれども、何うか此の死骸を、人知れず、丁度宜しい其の葛籠へ入れて何処どこかへ棄てゝ、うして貴様は在処の下総しもふさへ帰ってくれよ
真景累ヶ淵 (新字新仮名) / 三遊亭円朝(著)
城代土井は下総しもふさ古河こがの城主である。其下に居る定番ぢやうばん二人ににんのうち、まだ着任しない京橋口定番米倉よねくらは武蔵金沢の城主で、現に京橋口をも兼ね預かつてゐる玉造口定番遠藤は近江あふみ三上みかみの城主である。
大塩平八郎 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
下総しもふさ
別後 (新字旧仮名) / 野口雨情(著)
物置へ棒縛りにして投込まれた、所でようや縄脱なわぬけえして逃出しましたが、近辺にもられやせんから、久しく下総しもふさの方へ隠れていやしたが、春部にあれを奪られて何う致すことも出来やせんので
菊模様皿山奇談 (新字新仮名) / 三遊亭円朝(著)
下総しもふさ
別後 (新字旧仮名) / 野口雨情(著)
じゃまアうしよう、下総しもふさ都賀崎つがざきと云う所に金藏きんぞうという者がある、わっちとは少し親類あいの者だから、これへ手紙を附けて上げるから、当人に逢って、く相談をして世帯しょたいを持たせて貰いなさるが
闇夜の梅 (新字新仮名) / 三遊亭円朝(著)
下総しもふさ
雨情民謡百篇 (新字旧仮名) / 野口雨情(著)
下総しもふさ矢切村やきりむらから金重のいもとが出て参りました。