“髻(もとゞり)” の例文
今まで幾十百人の髻(もとゞり)を切られた方々も、さすがは青江備前守(びぜんのかみ)樣と言はれるだらうと、——今ではそれより外に汚名を救ふ術(すべ)はないのだ
然(しか)るを、元嘉(げんか)、京洛(きやうらく)の貴婦人(きふじん)、才媛(さいゑん)は、平時(へいじ)に件(くだん)の墮馬髻(だばきつ)を結(ゆ)ふ。たとへば髷(まげ)を片潰(かたつぶ)して靡(なび)け作(つく)りて馬(うま)より墮(お)ちて髻(もとゞり)の横状(よこざま)に崩(くづ)れたる也(なり)。
唐模様 (旧字旧仮名) / 泉鏡花、泉鏡太郎(著)
かくて高野山に到着、青巌寺を仮の住まいと定め、剃髪(ていはつ)染衣の身となって道意禅門と号したが、お供の人々も皆これに倣(なろ)うて髻(もとゞり)を切った。
聞書抄:第二盲目物語 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
アルバノ、フラスカアチの少女の群は、髮を編みて、銀(しろがね)の箭(や)にて留め、薄き面紗(ヴエール)の端を、やさしく髻(もとゞり)の上にて結びたり。
剰(あまつさ)え御門弟衆(しゅ)が髻(もとゞり)を取って門外へ引出し、打ち打擲して割下水へ倒(さか)さまに投入(なげい)れられ、半死半生にされても此方(こっち)は町人、相手は剣術の先生で手向いは出来ず
業平文治漂流奇談 (新字新仮名) / 三遊亭円朝(著)
姫は誰にも教はらないで、裾を脛(はぎ)まであげた。風は姫の髪を吹き乱した。姫は、髻(もとゞり)をとり束ねて、襟から着物の中に、くゝり入れた。夜中になつて雨風が止み、星空が出た。
死者の書:――初稿版―― (新字旧仮名) / 折口信夫(著)
玉兎(つき)も仏国西方に傾く頃を南無仏南無仏、恩愛永離(おんないえいり)の時こそ来つれと、髻(もとゞり)斬つて持仏堂(ぢぶつ)に投げこみ、露憎からぬ妻をも捨て、いとをしみたる幼きものをも歯を切(くひしば)つて振り捨てつ
二日物語 (新字旧仮名) / 幸田露伴(著)
列藩徴士中の高齢者で、少し疎(まばら)になつた白髪を髻(もとゞり)に束ねてゐる。当年六十一歳である。少しも驚き慌(あわ)てた様子はなく、抜き放つた短刀を右手に握つて、冷かに同志の人々を見遣つた。
津下四郎左衛門 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
落ちながらも剣術の上手な人ゆえ油断が有りません、グルリと体を捻(ひね)り、彼(か)の侍の頭巾の上から髻(もとゞり)をムッと捕(とら)えて放さぬゆえ、其の機(はず)みに頭巾の紐が切れましたが
「何やらヒラリと闇の中に動いたと思ふと、殿の御髻(もとゞり)は切られて居た。相手の正體はもとより判らず、神變不可思議の早業で、氣の付いた時はもう、曲者の影も形もなかつた」
と髻(もとゞり)を取って引寄せて、二十ばかり続けて打(う)ちましたから、実に頭の割れるほど痛いが耐(こら)えて
塩原多助一代記 (新字新仮名) / 三遊亭円朝(著)
「その主人、青江備前守(びぜんのかみ)殿には、困つたことに、御髻(もとゞり)を失はれたのだよ」
大将へ首実検いたさするに指を髻(もとゞり)に三本入れた時に(右の手にて攫む)斯(こ)う髻を取って大将の前に備える時に死顔(しにがお)が柔かに見える、前が剃って有ると又髻(たぶさ)を掴(つか)むにも掴み易いと云うので
松と藤芸妓の替紋 (新字新仮名) / 三遊亭円朝(著)
償(つぐな)ふ道もあるが、御簾中樣の御鏡、郷義弘(がうのよしひろ)の御懷劍、後生を願つて斷たれた、一と握りの御髻(もとゞり)、それに御墨附などは、代りの品があるべき筈もなく、明後日御局衆の代參までに間に合はなければ