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駒岡
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こまをか
ふりがな文庫
“
駒岡
(
こまをか
)” の例文
それが
瓢形
(
ひさごがた
)
に
駒岡
(
こまをか
)
と
記入
(
きにふ
)
したる
銀鍍金
(
ぎんめつき
)
の
徽章
(
きしやう
)
を一
樣
(
やう
)
に
着
(
つ
)
け、
同
(
おな
)
じ
表
(
しるし
)
の
小旗
(
こはた
)
を
立
(
た
)
てた
俥
(
くるま
)
に
乘揃
(
のりそろ
)
つて、
瓢簟山
(
ひようたんやま
)
へと
進軍
(
しんぐん
)
?したのは、なか/\のお
祭
(
まつ
)
り
騷
(
さは
)
ぎ※
探検実記 地中の秘密:29 お穴様の探検
(旧字旧仮名)
/
江見水蔭
(著)
未
(
ま
)
だ
此他
(
このた
)
に、四十一
年
(
ねん
)
の十
月
(
ぐわつ
)
、七八九三ヶ
日
(
にち
)
、お
穴樣
(
あなさま
)
探檢
(
たんけん
)
に
駒岡
(
こまをか
)
にと
通
(
かよ
)
つた、
其時
(
そのとき
)
に、
道路
(
だうろ
)
に
貝殼
(
かひがら
)
を
敷
(
し
)
くのを
見
(
み
)
て、
何處
(
どこ
)
の
貝塚
(
かひづか
)
から
持出
(
もちだ
)
したのかと
疑
(
うたが
)
つて
居
(
ゐ
)
た。
探検実記 地中の秘密:06 疑問の加瀬貝塚
(旧字旧仮名)
/
江見水蔭
(著)
それで三
人
(
にん
)
、
相談
(
さうだん
)
する
樣
(
やう
)
な
顏
(
かほ
)
をして、
一端
(
いつたん
)
松林
(
まつばやし
)
まで
退
(
しりぞ
)
き、
姿
(
すがた
)
が
彼等
(
かれら
)
の
視線
(
しせん
)
から
隱
(
かく
)
れるや
否
(
いな
)
や、それツとばかり
間道
(
かんだう
)
を
逃出
(
にげだ
)
して、
裏
(
うら
)
の
池
(
いけ
)
の
方
(
かた
)
から、
駒岡
(
こまをか
)
の
方
(
かた
)
へ
韋駄天走
(
ゐだてんばし
)
り。
探検実記 地中の秘密:07 末吉の貝塚
(旧字旧仮名)
/
江見水蔭
(著)
それからは
霎時
(
しばらく
)
遠
(
とほ
)
ざかつて
居
(
ゐ
)
たが、四十一
年
(
ねん
)
六
月
(
ぐわつ
)
四
日
(
か
)
に、
一人
(
ひとり
)
で
寺尾
(
てらを
)
、
子安
(
こやす
)
、
篠原
(
しのはら
)
、
大網
(
おほあみ
)
、
樽
(
たる
)
、
駒岡
(
こまをか
)
の
諸遺跡
(
しよゐせき
)
を
過
(
す
)
ぎて、
末吉
(
すゑよし
)
に
掛
(
かゝ
)
つて
來
(
く
)
ると、
這
(
こ
)
は
抑
(
そ
)
も
如何
(
いか
)
に、
這
(
こ
)
は
如何
(
いか
)
にである。
探検実記 地中の秘密:07 末吉の貝塚
(旧字旧仮名)
/
江見水蔭
(著)
矢上
(
やがみ
)
然
(
しか
)
り、
高田
(
たかた
)
然
(
しか
)
り、
子母口
(
しぼぐち
)
然
(
しか
)
り、
駒岡
(
こまをか
)
、
子安
(
こやす
)
、
篠原
(
しのはら
)
、
樽
(
たる
)
箕輪
(
みのわ
)
最
(
もつと
)
も
不有望
(
ふいうぼう
)
。
探検実記 地中の秘密:07 末吉の貝塚
(旧字旧仮名)
/
江見水蔭
(著)
“駒岡”の解説
駒岡(こまおか)は、神奈川県横浜市鶴見区の地名。現行行政地名は駒岡一丁目から駒岡五丁目。住居表示実施済区域。
(出典:Wikipedia)
駒
常用漢字
中学
部首:⾺
15画
岡
常用漢字
小4
部首:⼭
8画
“駒岡”で始まる語句
駒岡貝塚
駒岡附近