難波なには)” の例文
一四あしがちる難波なにはて、一五須磨明石の浦ふく風を身に一六しめつも、行々一七讃岐さぬき真尾坂みをざかはやしといふにしばらく一八つゑとどむ。
後撰集雑二に「難波なにはがた汀のあしのおいのよにうらみてぞふる人のこゝろを」というのが読人不知よみびとしらずになって出て居るが、兼盛の歌である。
連環記 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
その時忍熊おしくまの王は、難波なには吉師部きしべが祖、伊佐比いさひの宿禰を將軍いくさのきみとし、太子ひつぎのみこの御方には、丸邇わにの臣が祖、難波根子建振熊なにはねこたけふるくまの命を、將軍としたまひき。
二上山の男嶽をのかみと、女嶽めのかみとの間から、急にさがつて来るのである。難波なにはから飛鳥あすかの都への本道になつて居るから、日によつては、相応な人通りがある。
死者の書:――初稿版―― (新字旧仮名) / 折口信夫(著)
(中略)三八は身ごしらへして、娘うちつれ出でにける。名にしおふ難波なには大湊おほみなとまづ此所ここへと心ざし、少しのしるべをたずね、それより茶屋奉公にいだしける。
案頭の書 (新字旧仮名) / 芥川竜之介(著)
昆陽こやを出でさせ給ひて、武庫川むこがわ神崎かんざき難波なにはなど過ぎさせ給ふとて、御心のうちにおぼす筋あるべし。広田の宮のあたりにても、御輿おんこしとどめて、拝み奉らせ給ふ。
私本太平記:05 世の辻の帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
或ひは源氏の大将の昔の路を忍びつつ、須磨すまより明石あかしの浦づたひ、淡路あはぢ迫門せとを押しわたり、絵島が磯の月を見る、或ひは白浦しろうら吹上ふきあげ、和歌の浦、住吉すみよし難波なには高砂たかさご
大菩薩峠:21 無明の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
巣林子戯曲ありてより、浮世を難波なにはの潟に、心中するものゝ数多くなり、西鶴一流の浮世好色小説の流布るふしてより、社界の風儀はおほい紊乱びんらんせる事、識者の共に認むる所なり。
徳川氏時代の平民的理想 (新字旧仮名) / 北村透谷(著)
藤原家隆卿であらうか「ちぎりあれば難波なにはの里にやどり来て波の入日ををがみつるかな」
木の都 (新字旧仮名) / 織田作之助(著)
継て跡よりおい出るもの片葉の蘆多し故に水辺ならざる所にもあり難波なにはかぎら八幡淀伏見宇治やはたよどふしみうぢ等にも片葉蘆多し或人あるひといはく難波は常に西風烈しきにより蘆の葉東へ吹靡きて片葉なる物多しといふは辟案なり
植物一日一題 (新字新仮名) / 牧野富太郎(著)
其の後船もとめて難波なにはの方にのがれしかど、御消息せうそこしらまほしく、二三六ここの仏にたのみを懸けつるに、二三七二本ふたもとの杉のしるしありて、二三八うれしき瀬にながれあふことは