雑嚢ざつのう)” の例文
その中城介は部屋を降りて、土間にかけた雑嚢ざつのうの中から、自分の掌に白い粉末を取出し、宴席に戻って来た。アスピリンに似た結晶粉末である。
狂い凧 (新字新仮名) / 梅崎春生(著)
ああ北海道、雑嚢ざつのうを下げてマントをぐるぐるいてかたにかけて津軽海峡つがるかいきょうをみんなと船でわたったらどんなにうれしいだろう。
或る農学生の日誌 (新字新仮名) / 宮沢賢治(著)
雑嚢ざつのうを肩にかけて歩きながら考えてみると阪井を弁護しようと思ったはじめの志と全然反対にかえって阪井の不利益をのべたてたことになっている。
ああ玉杯に花うけて (新字新仮名) / 佐藤紅緑(著)
手さぐりで、からだを探ってみると雑嚢ざつのうがある。なかには、ライターもあり固形アルコールもある。——ああ、この、短い鉛筆でくわしくは書けない。
人外魔境:01 有尾人 (新字新仮名) / 小栗虫太郎(著)
ただひとつ発車間際に例の「機関車問答集」を雑嚢ざつのうの中から取り出して、読みながら行こうと思うんです、と云われた時の気持は回顧するだけでも苦しい。
そこに叉銃さじゅうして、途方に暮れていたが、退屈し切った兵員たちの中には、群集に煙草をやる者もあれば、雑嚢ざつのうの中からビスケットを取り出して差し出す者もあり
ウニデス潮流の彼方 (新字新仮名) / 橘外男(著)
翌朝、岡田はまた防毒面に雑嚢ざつのうをなくしているのを分隊長に発見され、銃床で思いっきり尻ぺたをこづかれ、六尺豊かの大男が鼠のようにキュウキュウ泣いていた。
さようなら (新字新仮名) / 田中英光(著)
僕も続いてはいろうとすると、かの男は僕の腰につけている雑嚢ざつのうをつかんで、なにか口早に同じようなことを繰返すのである。僕は無言でその手を振払って去った。
青蛙堂鬼談 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
翌朝起きるとすぐ、彼は、恭一の学用品を入れた雑嚢ざつのうを抱えて、こっそり便所に行った。そして、大便をすますついでに、それを壺の中に放りこんでしまったのである。
次郎物語:01 第一部 (新字新仮名) / 下村湖人(著)
座蒲団ざぶとんも拾った。縁側の畳をはねくり返してみると、持逃げ用の雑嚢ざつのうが出て来た。私はほっとしてそのカバンを肩にかけた。隣の製薬会社の倉庫から赤い小さなほのおの姿が見えだした。
夏の花 (新字新仮名) / 原民喜(著)
サア天狗様へ御挨拶あいさつも済んだというので、一同は奥殿の片隅を拝借し、多くはビショビショに濡れたまま、雑嚢ざつのうや新しい草鞋わらじを枕によこたわったが、なかなか以て眠られる次第ではない。
本州横断 癇癪徒歩旅行 (新字新仮名) / 押川春浪(著)
片手にかばんを持ち、右の肩に大きくふくらんだ雑嚢ざつのうをひっ掛けている、鞄にも雑嚢にも筆太の無遠慮な字で麻川来太らいたと書きなぐってあるが、その特徴のある歩きぶりと体つきとが似合っているように
花咲かぬリラ (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
つめたがいにやられたのだな朝からこんないい標本ひょうほんがとれるならひるすぎは十字狐じゅうじぎつねだってとれるにちがいないと私は思いながらそれをひろって雑嚢ざつのうに入れたのでした。
サガレンと八月 (新字新仮名) / 宮沢賢治(著)
雑嚢ざつのうを片手にかかえ、片手に画用紙を持ち両ひじをわきにぴったりと着けて姿勢正して走りゆく、それを見送ってチビ公は昔小学校時代のことをまざまざと思いだした。
ああ玉杯に花うけて (新字新仮名) / 佐藤紅緑(著)
年賀状は、真紅まっかな朝日と、金いろの雲と、真青まっさおな松とを、俗っぽく刷り出した絵葉書であったが、次郎は、何よりもそれを大切にして、いつも雑嚢ざつのうの中にしまいこんでいた。
次郎物語:01 第一部 (新字新仮名) / 下村湖人(著)
その頃、正三は持逃げ用の雑嚢ざつのうを欲しいとおもいだした。警報の度毎たびごとに彼は風呂敷包を持歩いていたが、兄たちは立派なリュックを持っていたし、康子は肩からさげるカバンを拵えていた。
壊滅の序曲 (新字新仮名) / 原民喜(著)
「これだな」と、一行は澄ました顔をしてその前を素通りしながら、そっと横眼を使って店内みせうちを眺めると、有るわ有るわ、天幕てんと、写真器械、雑嚢ざつのうなど、一行の荷物は店頭に堆高うずたかく積んである。
本州横断 癇癪徒歩旅行 (新字新仮名) / 押川春浪(著)
従軍記者の携帯品は、ピストルのほかに雨具、雑嚢ざつのうまたは背嚢はいのう飯盒はんごう、水筒、望遠鏡で、通信用具は雑嚢か背嚢に入れるだけですから、たくさんに用意して行くことが出来ないので困りました。
綺堂むかし語り (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
りっぱな中学生の服装で雑嚢ざつのうを肩にかけ徽章きしょうのついた帽子を輝かして行くのを見たときである。
ああ玉杯に花うけて (新字新仮名) / 佐藤紅緑(著)
「先生。おら河童捕かっぱどりしたもや。河童捕り。」藤原健太郎ふじわらけんたろうだ。黒の制服せいふく雑嚢ざつのうをさげ、ひどくはしゃいでわらっている。どうしていまごろあんな崖の上などに顔を出したのだ。
台川 (新字新仮名) / 宮沢賢治(著)
かれは黒の背広に黒の外套がいとうを重ねていたが、まず肩にかけていた雑嚢ざつのうをはずし、それからゆっくりと外套をぬいで、ていねいに頭をさげ、次郎に向かって、いくぶんさびのある、ひくい
次郎物語:05 第五部 (新字新仮名) / 下村湖人(著)
一行は朝から重い天幕てんとだの、写真器械だの、食糧品だの、雑嚢ざつのうだのを引担ぎ、既に数里の道をテクテク歩き、流るる汗は滝のごとく、身体からだも多少疲れたので、このさき大子だいご駅まで四、五里の間
本州横断 癇癪徒歩旅行 (新字新仮名) / 押川春浪(著)
高知県、愛媛県が警戒警報になり、つづいてそれは空襲警報に移っていた。正三は蚊帳かやの外にい出すと、ゲートルをいた。それから雑嚢ざつのうと水筒を肩に交錯させると、その上をバンドで締めた。
壊滅の序曲 (新字新仮名) / 原民喜(著)
雑嚢ざつのうや何かもここのしばへおろしておいていい行かないものもあるだろうから。
台川 (新字新仮名) / 宮沢賢治(著)
……バスは比治山ひじやまの上でとまり、そこから市内は一目に見渡せた。すぐくさむらのなかを雑嚢ざつのうをかけた浮浪児がごそごそしている。それが彼の眼には異様におもえた。それからバスは瓦斯ガス会社の前で停った。
永遠のみどり (新字新仮名) / 原民喜(著)