長浜ながはま)” の例文
が今は、兄の力に励まされ引き上げられ、彼も一箇の部将として洲股すのまた長浜ながはま以来、つねに秀吉の出陣といえば従軍していた。
新書太閤記:06 第六分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
(三嶋郡とする説もあり)家持やかもちの哥に「ゆきかへるかりのつばさをやすむてふこれや名におふうら長浜ながはま」▲名立なだち 同郡西浜にしはまにあり、今は宿しゆくの名によぶ。
珠洲すすうみに朝びらきしてれば長浜ながはまうらつきりにけり 〔巻十七・四〇二九〕 大伴家持
万葉秀歌 (新字新仮名) / 斎藤茂吉(著)
岐阜ぎふではまだ蒼空あおぞらが見えたけれども、後は名にし負う北国空、米原まいばら長浜ながはま薄曇うすぐもりかすかに日がして、寒さが身に染みると思ったが、やなでは雨、汽車の窓が暗くなるに従うて
高野聖 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
島は、うき島、八十やそ島。浜は、長浜ながはま。浦は、おうの浦、和歌の浦。寺は、壺坂、笠置、法輪。森は、しのびの森、仮寝うたたねの森、立聞たちぎきの森。関は、なこそ、白川。古典ではないが、着物の名称など。
古典竜頭蛇尾 (新字新仮名) / 太宰治(著)
浜縮緬はまちりめん」だとか「近江麻布おうみあさぬの」だとか「高島縮たかしまちぢみ」だとかよく聞えた名であります。浜縮緬は湖北の長浜ながはまを中心とし、麻布や蚊帳かやは湖東の各部落で出来、高島縮は湖西の今津地方の産であります。
手仕事の日本 (新字新仮名) / 柳宗悦(著)
もうその頃、おかへ上がったお米と宅助とは、長浜ながはまの河岸から本願寺の長土塀ながどべいに添って、ぶらりぶらり肩をならべてゆく。
鳴門秘帖:04 船路の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
(三嶋郡とする説もあり)家持やかもちの哥に「ゆきかへるかりのつばさをやすむてふこれや名におふうら長浜ながはま」▲名立なだち 同郡西浜にしはまにあり、今は宿しゆくの名によぶ。
岐阜ぎふでは蒼空あをそらえたけれども、あとにし北国空ほくこくぞら米原まいばら長浜ながはま薄曇うすぐもりかすかして、さむさがみるとおもつたが、やなではあめ汽車きしやまどくらくなるにしたがふて
高野聖 (新字旧仮名) / 泉鏡花泉鏡太郎(著)
この際、三名が、ひとしく察し取ったことは、長浜ながはまにのこしている秀吉の老母の身であった。
新書太閤記:07 第七分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
よみたる古哥に(万葉)「いや日子ひこのおのれ神さび青雲あをくものたなびく日すら小雨こさめそぼふる(よみ人しらず)」又家持やかもちに「いや彦の神のふもとにけふしもかかのこやすらんかはのきぬきてつぬつきながら」▲長浜ながはま 頸城郡くびきごほりり。
彼が、越前へもどるには、どうしても江州ごうしゅう長浜ながはまを通らなければならない。長浜には、先に帰った秀吉がいる。秀吉がだまって彼を通すか否か? ——これは大きな疑問としなければなるまい。
新書太閤記:08 第八分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
よみたる古哥に(万葉)「いや日子ひこのおのれ神さび青雲あをくものたなびく日すら小雨こさめそぼふる(よみ人しらず)」又家持やかもちに「いや彦の神のふもとにけふしもかかのこやすらんかはのきぬきてつぬつきながら」▲長浜ながはま 頸城郡くびきごほりり。
長浜ながはまの町には、灯のかずが夜ごとのようにえてゆく。
新書太閤記:05 第五分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
長浜ながはまの城へ、令が下った。
新書太閤記:05 第五分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)