“頸城郡”のいろいろな読み方と例文
読み方割合
くびきごほり60.0%
くびきこほり40.0%
(注) 作品の中でふりがなが振られた語句のみを対象としているため、一般的な用法や使用頻度とは異なる場合があります。
●さて又頸城郡くびきごほり海辺うみべ能生宿のうしやうしゆくといふは北陸道ほくろくだう官路くわんろなり、此宿より山手に入る㕝二里ばかりに間瀬口ませくちといふ村あり、こゝの農家のうかに地火をいだす㕝如法寺によほふじ村の地火に同じとぞ。
越後國頸城郡くびきごほり寶田村百姓憑司并に妻早奉申上候私し同村傳吉と申者親類にも有之候に付先年傳吉江戸表へ奉公かせぎにて罷り出叔母と妻とも國元へ差置さしおき候ゆゑ手前配下はいかの儀と申殊に親類にも有之候間留守中母子の者取續とりつゞき候樣世話いたし置し所傳吉國元くにもとへ立歸り候ては右のおん
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
我国わがくに頸城郡くびきこほり米山よねやまふもと医王山いわうさん米山寺べいさんじは和同年中の創草さう/\なり。山のいたゞきに薬師堂あり、山中女人をきんず。此米山の腰を米山たふげとて越後北海の駅路えきろなり、此ほとり古跡こせき多し。
我国わがくに頸城郡くびきこほり米山よねやまふもと医王山いわうさん米山寺べいさんじは和同年中の創草さう/\なり。山のいたゞきに薬師堂あり、山中女人をきんず。此米山の腰を米山たふげとて越後北海の駅路えきろなり、此ほとり古跡こせき多し。