衒学げんがく)” の例文
ヴァン・ダインとかクイーンとか、無役むえき衒学げんがくで、いやらしくジラシたり、モッタイぶったりするから、気持よく読みつづけられない。
不連続殺人事件 (新字新仮名) / 坂口安吾(著)
真面目まじめくさった口をきいて、ちょっと容態ようだいぶった衒学げんがく的な調子で詩人の句を引用した。彼はほとんど答えもしなかった。気持が悪かった。
そんな事ではいくら威張つても、衒学げんがくの名にさへ価せぬではないか。いたづらに人に教へたがるよりは、まづみづから教へて来るがい。(十月五日)
雑筆 (新字旧仮名) / 芥川竜之介(著)
衒学げんがく的な中性女そのまゝな口振りがり移って、うぶ毛の口髭さえ面影に浮ぶのを醜いものにわたくしは感じ取りましたが
生々流転 (新字新仮名) / 岡本かの子(著)
衒学げんがくなんという語もまだ流行はやらなかったが、流行っていたらこの場合に使われたのだろう。その外、自己弁護だなんぞという罪名もまだ無かった。
ヰタ・セクスアリス (新字新仮名) / 森鴎外(著)
彼等は衒学げんがく的なものをきらい、貴族的な尊大感に反抗し、民衆的な気取らない直情主義で、率直に思想を語ろうとした。
詩の原理 (新字新仮名) / 萩原朔太郎(著)
「文学を楽しむ」という衒学げんがく的な言葉が、阿藤先生の口から洩れる時、いかに厭や味なく受けとれたことだろう。
二十歳のエチュード (新字新仮名) / 原口統三(著)
ショパン後年の作品に、衒学げんがく的な気むずかしさのないのは、エルスナーの教育法のおかげであったらしい。
楽聖物語 (新字新仮名) / 野村胡堂野村あらえびす(著)
保は越智を衒学げんがく的と思っていないのだろうか。議論のための議論をしない人と感じているのだろうか。
二つの庭 (新字新仮名) / 宮本百合子(著)
今まで衒学げんがくと傲慢、偽善と陰険とで固められた宗教家、政治家、学者たちと激しく論戦せられたイエスの眼前に、この敬虔なる貧しき姿が忽焉こつえんとして浮かみ出たのは
いや、そんな衒学げんがくだけなら、なにも眼をみはりはしない。わしが奇異を感じたのは、べつな点だ。
私本太平記:01 あしかが帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
こうした説明は、とかく衒学げんがく的に見えるものでなるべくならば物語からは省きたいのですけれど、話が骨抜きになっては面白くありませんから、まあ、我慢してきいて下さい。
新案探偵法 (新字新仮名) / 小酒井不木(著)
そこでたとひ第一義的な問題にいての、所謂いはゆる侃々諤々かん/\がく/\の議論が出ても、それは畢竟ひつきやうするに、頭脳のよさの誇り合ひであり、衒学げんがくの角突合であり、機智のひらめかし合ひで、それ以上の何物でもないと
良友悪友 (新字旧仮名) / 久米正雄(著)
厚顔な衒学げんがく的なワグナー派は、新しい插楽劇メロドラマをすべて排斥するだけで満足せず、古い插楽劇メロドラマを飾りたてようとつとめた。
寿陵余子じゆりようよし雑誌「人間にんげん」の為に、骨董羹こつとうかんを書く事既に三回。東西古今ここんの雑書を引いて、衒学げんがくの気焔を挙ぐる事、あたかもマクベス曲中の妖婆えうばなべに類せんとす。
日本一般の生活態度が元来かういふフザけたもので、漱石はたゞその中で衒学げんがく的な形ばかりの知と理を働かせてかゆいところを掻いてみたゞけで、自我の誠実な追求はなかつた。
デカダン文学論 (新字旧仮名) / 坂口安吾(著)
日本に於ける大抵の文学流派は、皮相なジャーナリズムの影響であり、西洋新聞の文芸欄や政治欄を、新人気取りの新しがりと衒学げんがくさで、軽薄に受け取ったものにすぎないのだ。
詩の原理 (新字新仮名) / 萩原朔太郎(著)
ドイツ風の衒学げんがくもフランクにはないが、その楽曲は建築的な合理性と雄大さがあり、神秘的であると共に、きわめて色彩的であることが、容易よういに知られなかった原因でもあると共に
楽聖物語 (新字新仮名) / 野村胡堂野村あらえびす(著)
人間性の自然から、独創力から、純粋のかんから、物事の筋目を見つけて行かうとする自分のやり方がいかに旧套きゅうとうとらはれ、衒学げんがくにまなこがくらんでゐる世間に容れられないかを、ことごとく悟つた。
上田秋成の晩年 (新字旧仮名) / 岡本かの子(著)
若い範宴の衒学げんがくだと思う者が多かった。
親鸞 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
クリストフから見ると、それはたまらなく退屈なもので、冷淡乾燥で、嬌媚きょうび衒学げんがくを事としてる嫌味いやみなものだった。
その次に、日本の探偵小説は衒学げんがくすぎるところがある。
推理小説について (新字新仮名) / 坂口安吾(著)
そして、近年あまりにもてはやされたこのバッハでさえも、すでに衒学げんがく的で陳腐ちんぷであると見なされ始め、要するに多少子供っぽいのだと見なされていた。
無邪気な衒学げんがく心、それからまた、生来の温良な性質、気取りたい性質、などが入り交った心持をもってであった。
彼は「ピアノの獅子しし」や「ピアノのひょう」を許容することができなかった。——また彼は、ドイツで名高いりっぱな衒学げんがく者にたいしても、あまり寛大ではなかった。
一つの衒学げんがく的な峻厳しゅんげんさと思想上の専制主義、力にたいするひそかな崇拝、反対の意味の軍国主義、などを見出したが、それは彼が毎日ドイツで聞いているところのものと
世間の衒学げんがく者どもは、言わば自分は足がたたないくせに人に歩くことを教えようとしている。
公衆は、君たちの黄昏たそがれの芸術に、調子のよい神経衰弱に、対位法的な衒学げんがく趣味に、飽いてしまってるのだ。生活が野卑なものであろうとなかろうと、公衆は生活のあるほうへ行くものだ。
衒学げんがく的な教え方で彼の気を害することなく、ただ晩にいっしょになるようなおりに、歴史の面白い部分や、あるいはドイツや外国の詩人のいい詩などを、ミンナに読ましたり彼に読ましたりして