縉紳しんしん)” の例文
予がここに東山時代における一縉紳しんしんの生活を叙せんとするのは、その縉紳の生涯を伝えることを、主なる目的としてのことではない。
ここに一言して置く。わたくしはこの拙著中人物の生死を記するに大抵没あるいは終の語を以てし縉紳しんしん公侯の死にもこうといい卒という語を
下谷叢話 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
数日して某縉紳しんしんの子が十一娘に結婚を申しこむことになったが、普通の手段ではととのわないと思ったので、邑宰むらやくにんに頼んで媒灼ばいしゃくしてもらった。
封三娘 (新字新仮名) / 蒲 松齢(著)
ことごとく、これは土地の大名、城内の縉紳しんしん、豪族、富商の奥よりして供えたものだと聞く。家々の紋づくしと見れば可い。
夫人利生記 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
その屋敷を写山楼しゃざんろうと名付け、そこへ集まる人達はいわゆる一流の縉紳しんしんばかりで、浮世絵師などはお百度を踏んでも対面することは困難むずかしかった。
北斎と幽霊 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
もち論これは皇室・縉紳しんしんの上についてのことでなくて、成り出者の武将などに多かったのであって、和歌の受容のされ方を知るによい証拠になることである。
中世の文学伝統 (新字新仮名) / 風巻景次郎(著)
それ演劇は国家の活歴史にして、文盲もんまうの早学問なり。故に欧洲進化の国にありては、縉紳しんしん貴族皆之を尊重す。
本の事 (新字旧仮名) / 芥川竜之介(著)
南洲曰ふ、夫れ復古は易事いじに非ず、且つ九重阻絶そぜつし、みだりに藩人を通ずるを得ず、必ずや縉紳しんしん死を致す有らば、則ち事或は成らんと。又後藤象ごとうしやう次郎にいて之を説く。
自身の見た京を語り、宮廷を語り、縉紳しんしんの家の内部の派手な様子を語って聞かせることができた。
源氏物語:14 澪標 (新字新仮名) / 紫式部(著)
友だちが京都へはいると間もなく深い関係を結んだという神祇職じんぎしょく白川資訓卿しらかわすけくにきょうとは、これまで多くの志士が縉紳しんしんへの遊説ゆうぜいの縁故をなした人で、その関係から長州藩、肥後藩
夜明け前:02 第一部下 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
後年、六波羅の平家一門中、権謀むしろ入道清盛をもこえて、世に“縉紳しんしんきょう”とおそれられたへい大納言時忠こそ、実に、良家の一不良——この日のお玉杓子であろうとは。
貴顕縉紳しんしんの邸宅へ接近することは出来なかった訳であるが、普通これらの官位を買うには当道を支配する久我右大臣家や組合の方へ多額の冥加金みょうがきんを納めなければならないので
聞書抄:第二盲目物語 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
陛下の天覧が機会となって伊井公侯の提撕ていせいに生じたのだから、社会的には今日の新劇運動よりも一層大仕掛けであって、有力なる縉紳しんしん貴女を初め道学先生や教育家までがことごとく参加した。
これをもって毎歳必ず五十日あり。この日や、縉紳しんしん先生より開化処士、青年書生に至るまで、柳をとぶらい、花をたずぬるの期となせり。ゆえに妓楼ぎろう酒店しゅてんにありては、いにしえのいわゆる門日もんび物日ものびに比す。
日曜日之説 (新字新仮名) / 柏原孝章(著)
顖顱しんろ科ノ名医ナリ。天民幼ヨリ唯詩ヲ好ミ医術ヲおさメズ。父没シテ業ヲ改メ詩人トナリ、名海内ニ振ヒ公侯縉紳しんしんノ間ニ優遇セラル。
下谷叢話 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
景は感謝して帰り、その金のうちから十余金さいて、ある縉紳しんしんの家にいるじょちゅうを買って細君にしたが、その女はひどく醜くて、それで気が強かった。
阿霞 (新字新仮名) / 蒲 松齢(著)
けだし実隆は縉紳しんしん中の流行はやり役者であり、蔭涼軒は武家社交界の中心であった。しかして実隆は武家からも尊敬されて、しばしば柳営に出入した。
音楽の遊びがあって贈り物に纏頭てんとうに六条院にのみよくする華奢かしゃが見えた。多数の縉紳しんしんは皆きらびやかに風采ふうさいを作っているが、源氏に準じて見えるほどの人もないのであった。
源氏物語:23 初音 (新字新仮名) / 紫式部(著)
何が何とあろうとも明日みょうにちの演能に、今夜までおいでのない法は断じてない、ただ捜せ、捜すとめて、当地第一の料亭、某楼に、橘八郎先生歓迎の席を設けて、縉紳しんしん貴夫人、あまた
卵塔場の天女 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
この説もまた必ずしも見当違いでなく、無知文盲なる貧民階級に往々縉紳しんしん貴族に勝るの立派な人格者を見出す事もまれにはあるが二葉亭は強てイリュージョンを作って総ての貧民を理想化して見ていた。
二葉亭四迷の一生 (新字新仮名) / 内田魯庵(著)
苦学して、江戸に出、林羅山はやしらざんにまなび京の縉紳しんしんにまで知られた。
梅里先生行状記 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
二年して彼の縉紳しんしんは権門に賄賂まいないしたことが知れて、父子で遼海りょうかいの軍にやられたので、十一娘ははじめて里がえりをした。
封三娘 (新字新仮名) / 蒲 松齢(著)
きん生はあざな王孫おうそんといって蘇州の生れであった。淮安わいあん縉紳しんしんの屋敷の中にいて土地の少年子弟を教授していた。その屋敷の中にはあまり家がなくて、花や木が一めんに植わっていた。
五通 (新字新仮名) / 蒲 松齢(著)