“篤志(とくし)” の例文
鐵心道人の第一番の大檀那(だんな)で、庵室を建ててやつたのも、諸經費の不足を出してやるのも、皆んなこの男の篤志(とくし)だといふことです。
それでいて我々がまずどうにかせねばならぬのは、少数篤志(とくし)の家の愉快よりも、他の大変な多数の者の幸福ということである。
木綿以前の事 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
何(なん)と……同(おな)じ事(こと)を昨年(さくねん)も見(み)た。……篤志(とくし)の御方(おかた)は、一寸(ちよつと)お日記(につき)を御覽(ごらん)を願(ねが)ふ。秋(あき)の半(なかば)かけて矢張(やつぱ)り鬱々(うつ/\)陰々(いん/\)として霖雨(ながあめ)があつた。三日(みつか)とは違(ちが)ふまい。
番茶話 (旧字旧仮名) / 泉鏡花、泉鏡太郎(著)
料理法研究のためにとて中庭に仮の料理場を設け、テンピ、七輪、西洋鍋に至るまで来客の睹(み)る前に順序能(よ)く並べられ、篤志(とくし)の料理人両三輩各受持の仕事に取かかる。
食道楽:冬の巻 (新字新仮名) / 村井弦斎(著)
僕天下の士を多く見候えども、無学にして篤志(とくし)なることかくの如き人は多く見申さず、実に奇人なり。学ぶべし、頼るべし。別封の一通御覧、この人の心中察し給え。
吉田松陰 (新字新仮名) / 徳富蘇峰(著)
篤志(とくし)の方は、京都に行かれた節にでも、料理屋に命じて、醤油で煮つめさせ、一つ試みられてはいかが。これさえ食べれば、一躍(いちやく)茶漬けの天下取りになれるわけである。
京都のごりの茶漬け (新字新仮名) / 北大路魯山人(著)
ハナショウブの花は千差万別(せんさばんべつ)、数百品もあるであろう。かつて三好学(みよしまなぶ)博士が大学にいる間に、『花菖蒲図譜(はなしょうぶずふ)』を著(あらわ)して公(おおやけ)にしたが、まことに篤志(とくし)の至りであるといってよい。
植物知識 (新字新仮名) / 牧野富太郎(著)
独逸(ドイツ)の前線にも、聯合国側ほど豊富に女性の慰問の手紙や篤志(とくし)看護婦がどんどん行っていたら、戦争の末期に、あんなひどい意気の阻喪(そそう)の仕方はしなかったろうという事も聞いて知っています。
キャラコさん:04 女の手 (新字新仮名) / 久生十蘭(著)
安子さん今日の目的は内藤夫人を三越へ誘って手土産を見繕い、それから良人達の謡曲の篤志(とくし)師匠橋口家を訪れるにある。そうしてこの外出全般の主眼は交際即ち例の退屈凌ぎにあって存する。
好人物 (新字新仮名) / 佐々木邦(著)
鉄心道人の第一番の大檀那(おおだんな)で、庵室を建ててやったのも、諸経費の不足を出してやるのも、みんなこの男の篤志(とくし)だということです。
最近に宮本演彦・吉田久一の二君の篤志(とくし)によって、新たに採集せられてきた川平(かびら)のマユンガナシの神詞の中にも、注意すべき実例が幾つかある。
海上の道 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
しかし何(なに)は御不足(ごふそく)でも医学博士(いがくはかせ)、三角康正(みすみかうせい)さんが、この一行(かう)にお加(くは)はり下(くだ)すつて、篤志(とくし)とまでも恩(おん)に着(き)せず、少(すくな)い徳本(とくごう)の膝栗毛漫遊(ひざくりげまんいう)の趣(おもむき)で、村々(むら/\)で御診察(ごしんさつ)をなすつたのは、御地(おんち)に取(と)つて
十和田湖 (新字旧仮名) / 泉鏡花、泉鏡太郎(著)
これなどは荷馬車が多くなった時代に、主として馬方(うまかた)が篤志(とくし)ではこんだということで、これにもやはり行くさきが書いてあるのを、読める人がもう多くなったお蔭(かげ)であった。
母の手毬歌 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
その時、後を閉めようとして、ここに篤志(とくし)の夜伽(よとぎ)のあるのを知って一揖(いちゆう)した。
式部小路 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)