もう)” の例文
対手あいての姿は見えないで、そこにはもうとした血煙だけが残っていた。衆はうずを巻いて混乱し、一人は真一文字に走っているのだ。
鳴門秘帖:01 上方の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
鶏がしわがれた声で鳴いた。あけぼのの最初の光が、一面にもうと曇った窓ガラスを通して現われた。降りしきる雨におぼれた、悲しい蒼白あおじろい曙であった。
やがて上の蒲団を容赦なく引きけると、髪毛かみのけもうと空中に渦巻かせて、寝床ベッドの中に倒れ込むようにメスを振りおろした。
復讐 (新字新仮名) / 夢野久作(著)
可厭いやな音だ。がそれにしては、石油のにおいがするでもなし……こう精神がもうとしては、ものの香は分るまい。
沼夫人 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
いや、ひとつはまたその大切な瞬間が、ズドウン! と彼女の指から突然に発した轟音のために、もうッと、硝煙に包まれてしまったのでもあった。
牢獄の花嫁 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「あゝ、不可いけない、其處そこを。」とげてめるもなく、足許あしもとに、パツとえて、わツとうつつた途端とたんに、丸木橋まるきばしはぢゆうとみづちて、黄色きいろけむりが——もう湧立わきたつ。
みつ柏 (旧字旧仮名) / 泉鏡花泉鏡太郎(著)
もう——と、煙硝えんしょうくさいたまけむりが、釣瓶つるべうちにはなす鉄砲の音ごとに、やぐらの上までまきあがってくる。
神州天馬侠 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
……びんのおくれ毛がかかるのを、とやかく言っては罰の当った話ですが、どうも小唄や小本こほんにあるように、これがヒヤリと参りません。べとべとと汗ばんで、一条ひとすじかかるともうとします。
甲乙 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
「わッ……」こまかい血がもうとあがる……。九鬼弥助はくうをつかんで、ならの傾斜へ落ちこんで行った。
鳴門秘帖:01 上方の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
霜夜にぷんと香が立って、薄い煙がもうと立つ。
菎蒻本 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
と、断末の血煙りが、もうとして霧のように立つ、そしてしばらくは血腥ちなまぐさい風が、柳の樹かげに漂ってあたりを去らぬばかり。ほっと息を入れて、初めてそのところの黒い影を見た重兵衛。
剣難女難 (新字新仮名) / 吉川英治(著)