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ひえ
ふりがな文庫
“
日吉
(
ひえ
)” の例文
山の上では今
常磐
(
ときわ
)
花壇のある所は
日吉
(
ひえ
)
山王の社で総彫り物総金の立派なお宮が建っていました。その前の
崖
(
がけ
)
の上が
清水堂
(
きよみずどう
)
、左に鐘楼堂。
幕末維新懐古談:19 上野戦争当時のことなど
(新字新仮名)
/
高村光雲
(著)
早速、叡山側から、
日吉
(
ひえ
)
の社司、延暦寺の寺官等、三十余人が、訴状を持って、当時の関白、藤原
師通
(
もろみち
)
の許へ脅迫にやってきた。
現代語訳 平家物語:01 第一巻
(新字新仮名)
/
作者不詳
(著)
街道の比叡ノ辻では、
柵
(
さく
)
を結んでいちいち往来を検問しているし、
日吉
(
ひえ
)
ノ
社
(
やしろ
)
には、僧兵の陣が、湖を望んで、なにかどよめきをあげている。
私本太平記:03 みなかみ帖
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
『
日吉
(
ひえ
)
社神道秘密記』に鼠の祠は子の神なり、御神体鼠の面、俗形
烏帽子
(
えぼし
)
狩衣
(
かりぎぬ
)
、伝説に昔皇子誕生あるべきよう三井寺の
頼豪
(
らいごう
)
阿闍梨
(
あじゃり
)
に
勅定
(
ちょくじょう
)
あり、百社祈って御誕生あり
十二支考:11 鼠に関する民俗と信念
(新字新仮名)
/
南方熊楠
(著)
小太郎は、
日吉
(
ひえ
)
神社から、爪立ち登りになってきた道を、千鳥形に、縫って上りながら、佇んで
南国太平記
(新字新仮名)
/
直木三十五
(著)
▼ もっと見る
これは庚申が猿の日の祭であるためにちがいないのだが、猿が天台宗と縁の深い
日吉
(
ひえ
)
神社、俗に山王さんというお宮の使者だからと、言って聴かされている人が今日では多い。
年中行事覚書
(新字新仮名)
/
柳田国男
(著)
貞応
(
じょうおう
)
二年二十六のとき、出家しようかと思いつめて慈円になだめられ、
日吉
(
ひえ
)
に
参籠
(
さんろう
)
して
一七日
(
いちしちにち
)
の間に千首歌を詠んだ。これが『為家千首』といって、今も『群書類従』に入れられて伝わっている。
中世の文学伝統
(新字新仮名)
/
風巻景次郎
(著)
あまつさえ、後には山法師などという手合いが
日吉
(
ひえ
)
七社の
神輿
(
みこし
)
をかつぎ出して京都の市中を騒がし、あるいは大寺と大寺とが戦争して人を殺したり火を放ったりしたことは数え切れないほどある。
夜明け前:01 第一部上
(新字新仮名)
/
島崎藤村
(著)
武蔵国の御家人
猪俣党
(
いのまたとう
)
に
甘糟太郎忠綱
(
あまかすのたろうただつな
)
という侍は深く法然に帰依した念仏の行者であった。山門の輩が蜂起して
日吉
(
ひえ
)
八王子の社壇を城廓として乱を起した時、忠綱は勅命によってそれを征伐に向った。
法然行伝
(新字新仮名)
/
中里介山
(著)
南拝島、
日吉
(
ひえ
)
神社社前。
五百句
(新字旧仮名)
/
高浜虚子
(著)
田中の塁には、柴田隊が
拠
(
よ
)
って、
氏家
(
うじいえ
)
、稲葉、安藤の諸隊が
凸字
(
とつじ
)
形に、
日吉
(
ひえ
)
神社の参道まで突出している。
新書太閤記:04 第四分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
春日大明神第一の使者は鹿、第二の使者は猿なり。
日吉
(
ひえ
)
にも、インド、セイロン同然猴は屍を
匿
(
かく
)
す話行われ、
唐崎
(
からさき
)
まで通ずる猿塚なる穴あり、老い果てた猿はこの穴に入りて出ざる由。
十二支考:07 猴に関する伝説
(新字新仮名)
/
南方熊楠
(著)
折柄行われる予定の
日吉
(
ひえ
)
の祭礼をとりやめると、
安元
(
あんげん
)
三年四月、御輿を陣頭に京へくり出して来た。賀茂の河原から、
法成寺
(
ほうじょうじ
)
の一角に兵をくり出し、御所を東北から囲む体形で迫ってきた。
現代語訳 平家物語:01 第一巻
(新字新仮名)
/
作者不詳
(著)
義貞は
日吉
(
ひえ
)
の大宮
権現
(
ごんげん
)
にひとり
参籠
(
さんろう
)
して、氷のような
床
(
ゆか
)
に伏した。夜もすがらなにか一念の祈願をこめ、あわせて
願文
(
がんもん
)
と重代の太刀鬼切とを、社壇へおさめた。
私本太平記:12 湊川帖
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
何かというと
日吉
(
ひえ
)
の
神輿
(
しんよ
)
とか
春日
(
かすが
)
の
神木
(
しんぼく
)
をかつぎ出して要求を通そうとするのがうるさい、その点福原は山河をへだてて距離も離れているので、坊主神官たちの邪魔はあるまいという点にあった。
現代語訳 平家物語:05 第五巻
(新字新仮名)
/
作者不詳
(著)
装備、
腰糧
(
こしがて
)
など、
午
(
ひる
)
までに万端、発向の用意をおわること。やがて、二度の
鐘合図
(
かねあいず
)
ととも、一手は
日吉
(
ひえ
)
坂本より大津ぐちへ、一勢は
雲母坂
(
きららざか
)
より上加茂へうごき出るぞ。
私本太平記:04 帝獄帖
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
前権少僧都顕真
(
さきのごんしょうそうずけんしん
)
が、
日吉
(
ひえ
)
の社で法華経一万部を転読した。
現代語訳 平家物語:06 第六巻
(新字新仮名)
/
作者不詳
(著)
同夜、大塔ノ宮は、
日吉
(
ひえ
)
山王
(
さんのう
)
の八王子に
床几
(
しょうぎ
)
をすすめ、弟宮の座主宗良も、同所に陣座して
私本太平記:04 帝獄帖
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
「しからずんば、
嗷訴
(
ごうそ
)
(大衆の示威運動)あるのみだ。
日吉
(
ひえ
)
山王の
神輿
(
みこし
)
を
挙
(
あ
)
げて、朝廷へ迫ろう。奈良の興福寺大衆も、
春日神木
(
かすがしんぼく
)
をかついで、われらと同時に、洛内へくり出せ」
私本太平記:13 黒白帖
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
「はい。山支度の軽いお
身装
(
みなり
)
で、天野源右衛門どのただひとりをお供に召され、
日吉
(
ひえ
)
の下までは馬で飛ばさんと、お語らい遊ばしながら、いまお玄関で
草鞋
(
わらじ
)
を召していらせられます」
新書太閤記:07 第七分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
(念仏方の公卿たちの策謀を、まず先に打ち
懲
(
こら
)
せ)と、いつもの手段に出て、近いうちに、
日吉
(
ひえ
)
、山王の
神輿
(
みこし
)
をかついで一山三千が示威運動に出るらしいという警報が都へ入ってきた。
親鸞
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
人伝
(
ひとづ
)
てに聞きますと、山上は依然、荒涼として廃墟のままだそうですが、その後、横川の和尚
亮信
(
りょうしん
)
や、
宝幢院
(
ほうとういん
)
の
詮舜
(
せんしゅん
)
や、
止観院
(
しかんいん
)
の
全宗
(
ぜんそう
)
や、また
正覚院
(
しょうかくいん
)
の
豪盛
(
ごうせい
)
とか、
日吉
(
ひえ
)
の
禰宜行丸
(
ねぎぎょうがん
)
などの
硯学
(
せきがく
)
たちが
新書太閤記:07 第七分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
彼らは、すぐ、
日吉
(
ひえ
)
山王三社の
神輿
(
みこし
)
を出して磨き立てた。
親鸞
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
「きっと、
日吉
(
ひえ
)
のお使いさまでしょ」
新書太閤記:04 第四分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
日
常用漢字
小1
部首:⽇
4画
吉
常用漢字
中学
部首:⼝
6画
“日吉”で始まる語句
日吉山王
日吉丸
日吉町
日吉橋
日吉津
日吉社
日吉祭
日吉社参
日吉鷲平
日吉丸稚桜