日吉ひえ)” の例文
山の上では今常磐ときわ花壇のある所は日吉ひえ山王の社で総彫り物総金の立派なお宮が建っていました。その前のがけの上が清水堂きよみずどう、左に鐘楼堂。
早速、叡山側から、日吉ひえの社司、延暦寺の寺官等、三十余人が、訴状を持って、当時の関白、藤原師通もろみちの許へ脅迫にやってきた。
街道の比叡ノ辻では、さくを結んでいちいち往来を検問しているし、日吉ひえやしろには、僧兵の陣が、湖を望んで、なにかどよめきをあげている。
私本太平記:03 みなかみ帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
日吉ひえ社神道秘密記』に鼠の祠は子の神なり、御神体鼠の面、俗形烏帽子えぼし狩衣かりぎぬ、伝説に昔皇子誕生あるべきよう三井寺の頼豪らいごう阿闍梨あじゃり勅定ちょくじょうあり、百社祈って御誕生あり
小太郎は、日吉ひえ神社から、爪立ち登りになってきた道を、千鳥形に、縫って上りながら、佇んで
南国太平記 (新字新仮名) / 直木三十五(著)
これは庚申が猿の日の祭であるためにちがいないのだが、猿が天台宗と縁の深い日吉ひえ神社、俗に山王さんというお宮の使者だからと、言って聴かされている人が今日では多い。
年中行事覚書 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
貞応じょうおう二年二十六のとき、出家しようかと思いつめて慈円になだめられ、日吉ひえ参籠さんろうして一七日いちしちにちの間に千首歌を詠んだ。これが『為家千首』といって、今も『群書類従』に入れられて伝わっている。
中世の文学伝統 (新字新仮名) / 風巻景次郎(著)
あまつさえ、後には山法師などという手合いが日吉ひえ七社の神輿みこしをかつぎ出して京都の市中を騒がし、あるいは大寺と大寺とが戦争して人を殺したり火を放ったりしたことは数え切れないほどある。
夜明け前:01 第一部上 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
武蔵国の御家人猪俣党いのまたとう甘糟太郎忠綱あまかすのたろうただつなという侍は深く法然に帰依した念仏の行者であった。山門の輩が蜂起して日吉ひえ八王子の社壇を城廓として乱を起した時、忠綱は勅命によってそれを征伐に向った。
法然行伝 (新字新仮名) / 中里介山(著)
南拝島、日吉ひえ神社社前。
五百句 (新字旧仮名) / 高浜虚子(著)
田中の塁には、柴田隊がって、氏家うじいえ、稲葉、安藤の諸隊が凸字とつじ形に、日吉ひえ神社の参道まで突出している。
新書太閤記:04 第四分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
春日大明神第一の使者は鹿、第二の使者は猿なり。日吉ひえにも、インド、セイロン同然猴は屍をかくす話行われ、唐崎からさきまで通ずる猿塚なる穴あり、老い果てた猿はこの穴に入りて出ざる由。
折柄行われる予定の日吉ひえの祭礼をとりやめると、安元あんげん三年四月、御輿を陣頭に京へくり出して来た。賀茂の河原から、法成寺ほうじょうじの一角に兵をくり出し、御所を東北から囲む体形で迫ってきた。
義貞は日吉ひえの大宮権現ごんげんにひとり参籠さんろうして、氷のようなゆかに伏した。夜もすがらなにか一念の祈願をこめ、あわせて願文がんもんと重代の太刀鬼切とを、社壇へおさめた。
私本太平記:12 湊川帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
何かというと日吉ひえ神輿しんよとか春日かすが神木しんぼくをかつぎ出して要求を通そうとするのがうるさい、その点福原は山河をへだてて距離も離れているので、坊主神官たちの邪魔はあるまいという点にあった。
装備、腰糧こしがてなど、ひるまでに万端、発向の用意をおわること。やがて、二度の鐘合図かねあいずととも、一手は日吉ひえ坂本より大津ぐちへ、一勢は雲母坂きららざかより上加茂へうごき出るぞ。
私本太平記:04 帝獄帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
前権少僧都顕真さきのごんしょうそうずけんしんが、日吉ひえの社で法華経一万部を転読した。
同夜、大塔ノ宮は、日吉ひえ山王さんのうの八王子に床几しょうぎをすすめ、弟宮の座主宗良も、同所に陣座して
私本太平記:04 帝獄帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「しからずんば、嗷訴ごうそ(大衆の示威運動)あるのみだ。日吉ひえ山王の神輿みこしげて、朝廷へ迫ろう。奈良の興福寺大衆も、春日神木かすがしんぼくをかついで、われらと同時に、洛内へくり出せ」
私本太平記:13 黒白帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「はい。山支度の軽いお身装みなりで、天野源右衛門どのただひとりをお供に召され、日吉ひえの下までは馬で飛ばさんと、お語らい遊ばしながら、いまお玄関で草鞋わらじを召していらせられます」
新書太閤記:07 第七分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
(念仏方の公卿たちの策謀を、まず先に打ちこらせ)と、いつもの手段に出て、近いうちに、日吉ひえ、山王の神輿みこしをかついで一山三千が示威運動に出るらしいという警報が都へ入ってきた。
親鸞 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
人伝ひとづてに聞きますと、山上は依然、荒涼として廃墟のままだそうですが、その後、横川の和尚亮信りょうしんや、宝幢院ほうとういん詮舜せんしゅんや、止観院しかんいん全宗ぜんそうや、また正覚院しょうかくいん豪盛ごうせいとか、日吉ひえ禰宜行丸ねぎぎょうがんなどの硯学せきがくたちが
新書太閤記:07 第七分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
彼らは、すぐ、日吉ひえ山王三社の神輿みこしを出して磨き立てた。
親鸞 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「きっと、日吉ひえのお使いさまでしょ」
新書太閤記:04 第四分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)