抛擲ほうてき)” の例文
しかもその記実たる自己が見聞せる総ての事物より句を探りだすに非ず、記実の中にてもただ自己を離れたる純客観の事物は全くこれを抛擲ほうてき
俳人蕪村 (新字旧仮名) / 正岡子規(著)
しかし、この事件の開始と同時に、ある一つの遠心力が働いて、そうしてその力が、関係者の圏外はるかへ抛擲ほうてきしてしまった一人があったのですよ。
黒死館殺人事件 (新字新仮名) / 小栗虫太郎(著)
私は一二度博士がなぜ専門の物理化学を抛擲ほうてきして、とつじょ蜘蛛の研究に従事せられたのかということをきいてみたが、博士は笑って答えられなかった。
蜘蛛 (新字新仮名) / 甲賀三郎(著)
これを抛擲ほうてきして顧みざらんか、その極はついに不幸なる真の戦乱が勃発せぬとは限らぬ。禍機は此処ここに存在する。
永久平和の先決問題 (新字新仮名) / 大隈重信(著)
重田しげたさんが立寄たちよった。重田さんは隣字となりあざの人で、気が少し変なのである。躁暴狂そうぼうきょうでもなく、憂欝狂ゆううつきょうと云う訳でもなく、唯家業の農を抛擲ほうてきしてぶらぶら歩いて居る。
みみずのたはこと (新字新仮名) / 徳冨健次郎徳冨蘆花(著)
他の郵便事務は殆ど抛擲ほうてきされてしまうような始末を招来したので、その混雑を防ぐために、明治三十九年の年末から年賀郵便特別扱いということを始めたのである。
年賀郵便 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
内外の多事多端なる責任の地位を抛擲ほうてきして急行しつつあるものでしたが、その秘策のいかなるものであって、成功すべきや、せざるべきやは未来の疑問としましても
そしてそのためには仕事自体の持つ形式的な優位性などはすっかり抛擲ほうてきしてしまうほうがいい。
演技指導論草案 (新字新仮名) / 伊丹万作(著)
二人はもう黄色きいろった科長室のドアの前に立っていた。藤田大佐は科長と呼ばれる副校長の役をしているのである。保吉はやむを得ず弔辞に関する芸術的良心を抛擲ほうてきした。
文章 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
われわれが社会を問題とせずして、文学を問題としているとき、最早やわれわれには、コンミニズム文学は、問題から抛擲ほうてきされるべき問題たる素質を持って来たのである。
かつおもえらく、のうもとより無智無識なり、しかるに今回のこうは、実に大任にして、内は政府の改良をはかるの手段に当り、外は以て外交政略に関し、身命を抛擲ほうてきするの栄を受く
妾の半生涯 (新字新仮名) / 福田英子(著)
倫理学でさえ今日では価値体系の設定を抛擲ほうてきしてしかも狡猾こうかつにも平然としている状態である。
人生論ノート (新字新仮名) / 三木清(著)
「いや、ここ久しく、朝廷におかれても、遷都後の内政にいそがしく、天下の事は抛擲ほうてきした形になっていますが、それでは、帝室のご威光をあまねからしめるわけにゆきません」
三国志:03 群星の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
平常ふだんの廣介であったら、それ丈けの恐怖で、もう十分万事を抛擲ほうてきして逃出したに相違ありません。が、彼は、さして驚く様子もなく、さて次の段取りにと取りかかるのでした。
パノラマ島綺譚 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
切詰きりつめた予算だけしか有しておらぬことであるから、当人は人一倍困悶こんもんしたが、どうも病気には勝てぬことであるから、しばらく学事を抛擲ほうてきして心身の保養につとめるがいとの勧告に従って
観画談 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
それもこの冒険の賜物であったとも言える。青起画伯は、帰来あの冒険の印象、偉大な自然の黙示に打たれて、それまでの美意識を抛擲ほうてきせざるを得なくなった、と真心から語るのであった。
登山は冒険なり (新字新仮名) / 河東碧梧桐(著)
その仏教に関するものはおおむね圏外に抛擲ほうてきせらるるに非ざれば、すなはち過度もしくは見当違ひの非難を受くるに過ぎざりしが、近時新史学の研究せらるるに及びて、次第にその偏見なりしを発見し
仏教史家に一言す (新字旧仮名) / 津田左右吉小竹主(著)
全く思料しりょうの外に抛擲ほうてきしてしまいます。
非人道的な講和条件 (新字新仮名) / 与謝野晶子(著)
しかもその記実たる自己が見聞せるすべての事物より句を探りだすにあらず、記実の中にてもただ自己を離れたる純客観の事物は全くこれを抛擲ほうてき
俳人蕪村 (新字新仮名) / 正岡子規(著)
意地悪いお雪ちゃんいじめを抛擲ほうてきして、そうして疑問をかけたのを、竜之助がうなずいて
大菩薩峠:35 胆吹の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
「董卓が洛陽を捨てたのは、李儒の献策で、余力をもちながら、自ら先んじて、都府を抛擲ほうてきしたものだ。——それを一万やそこらの小勢で、追討ちをかけるなど、曹操もまだ若い」
三国志:03 群星の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
わが諸君に対するの義務は、畢竟ひっきょう一身を抛擲ほうてきして、内地に止まる人に好手段を与うるの犠牲たるのみなれば、決死の壮士少数にて足れり、何ぞ公私を顧みざる如きの人を要せんやと。
妾の半生涯 (新字新仮名) / 福田英子(著)
一切を抛擲ほうてきして先ず神を見る可く全力を傾注する勇気が無い、と嘆息して帰った。
みみずのたはこと (新字新仮名) / 徳冨健次郎徳冨蘆花(著)
軍事科学の書物を抛擲ほうてきして、もっぱら、キリスト教の書物を読むことになったのです。
大菩薩峠:24 流転の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
俄然としてめて、そうして声のする方を見ると、今し道庵が、二人の雲助のために無理無態に駕籠の中に押込まれて、担ぎ去られる瞬間でしたから、すっくと熊を抛擲ほうてきして立ち上りました。
大菩薩峠:33 不破の関の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
正当の職業である薬草取りの一日の業を抛擲ほうてきしてしまって、生命いのちがけでこの一羽を巣の中から捕獲して来は来たものの、その前後の処分法については、あまり考慮をめぐらしていなかったのです。
大菩薩峠:35 胆吹の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
彼等は測量のことも抛擲ほうてきして、岩角に立って、黒灰浦の方面ばかりを激昂するかおで見つめながら、使者の返答いかにと待っているが、その使者が容易には帰って来ないのが、いよいよもどかしい。
大菩薩峠:28 Oceanの巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)