悒鬱ゆううつ)” の例文
葉子はなんという事なく悒鬱ゆううつになって古藤の手紙を巻きおさめもせずひざの上に置いたまま目をすえて、じっと考えるともなく考えた。
或る女:1(前編) (新字新仮名) / 有島武郎(著)
自分自身の話に亢奮こうふんしたらしく眼は輝いて頬に血の気が上り、先刻のような寒そうな悒鬱ゆううつなようすは、どこにも残っていなかった。
流転 (新字新仮名) / 山下利三郎(著)
この艇内に青春を鋳潰いつぶすと決ったことの悒鬱ゆううつさで、機嫌はよくなかったので、魚戸と喋ることは僕の方からも避けていたといえる。
宇宙尖兵 (新字新仮名) / 海野十三(著)
報道の末尾まで読んでくると、悒鬱ゆううつな、宿命的な文字が彼の目を暗くした。生命とりとめる見込、としるされてゐるのだつた。
蒼茫夢 (新字旧仮名) / 坂口安吾(著)
私学校の変に次いで、西郷つとの報が東京に達すると、政府皆色を失った。大久保利通は、悒鬱ゆううつの余り、終夜ねむる事が出来なかったと云う。
田原坂合戦 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
自分の考えている事や、自分の今在るということ、そして妻のことなどがかれをかれの永い間持ち腐らせている悒鬱ゆううつにまで追い込んだのである。
みずうみ (新字新仮名) / 室生犀星(著)
彼は偉大なのらくら者、悒鬱ゆううつな野心家、華美な薄倖児はっこうじである。彼を絶えず照した怠惰の青い太陽は、天が彼に賦与ふよした才能の半ばを蒸発させ、蚕食さんしょくした。
虚構の春 (新字新仮名) / 太宰治(著)
車はせ、景は移り、境は転じ、客は改まれど、貫一はかはらざる悒鬱ゆううついだきて、る方無き五時間のひとりつかれつつ、始て西那須野にしなすのの駅に下車せり。
金色夜叉 (新字旧仮名) / 尾崎紅葉(著)
既に藤の花も散り、あのじめじめとした悒鬱ゆううつな梅雨が明けはなたれ、藤豆のぶら下った棚の下を、たくましげな熊ン蜂がねむたげな羽音に乗って飛び交う……。
鱗粉 (新字新仮名) / 蘭郁二郎(著)
往年の可楽君の悒鬱ゆううつ、今に至るも察してあまりあるものである。あるいは全くその演者の演ぜざる物語にいい加減の名前を附し、発表されることも少なくなかった。
が、こんな話しになると、さすが死を決した面々もだんだん悒鬱ゆううつになって、しまいには皆黙ってしまった。聞いている小平太には、いよいよ自分の用事が滑稽こっけいに見えてきた。
四十八人目 (新字新仮名) / 森田草平(著)
悒鬱ゆううつ四月うづき空、桜は散りましたが、梅雨前の気圧が、妙に人間の心を灰色に沈ませます。
真個に、まざまざと自分のところへかえって来た彼が、あの深い、大きな熱情で、しっかり抱擁して呉れた、あの恍惚を、あの感触を眼ざめて、あっけない夢だと知ると、妙な悒鬱ゆううつが心を閉じ込めた。
或る時は彼れを怒りっぽく、或る時は悒鬱ゆううつに、或る時は乱暴に、或る時は機嫌よくした。その日の酒は勿論もちろん彼れを上機嫌にした。
カインの末裔 (新字新仮名) / 有島武郎(著)
そして彼の胸中には、事件を解決するたびに経験するあのっぱい悒鬱ゆううつが、また例の調子でのぼってくるのであった。
爬虫館事件 (新字新仮名) / 海野十三(著)
定めし一人で悒鬱ゆううつがつてゐることだらうが訪ねて来ればいいものをと待ち構えてゐても、全く姿を見せなかつた。
雨宮紅庵 (新字旧仮名) / 坂口安吾(著)
君ら二人の目は悒鬱ゆううつな熱に輝きながら、互いにひとみを合わすのをはばかるように、やや燃えかすれたストーブの火をながめ入る。
生まれいずる悩み (新字新仮名) / 有島武郎(著)
軍隊を狙撃そげきする軍隊なのである。そのような、不可解な軍隊を向うに廻して、東山少尉の部下は、敵慨心てきがいしんを起す前に、悒鬱ゆううつにならないわけにゆかなかった。
空襲葬送曲 (新字新仮名) / 海野十三(著)
一向埒のあかないうちに遠慮会釈もなく締切の期日がとつくに過ぎ去つてしまつたことに由来する悒鬱ゆううつ極まる自責の念が手伝つて、いささか無役むえきに暗澹としすぎたのかも知れません。
雨などが降りくらして悒鬱ゆううつな気分が家の中にみなぎる日などに、どうかするとお前たちの一人が黙って私の書斎に這入はいって来る。
小さき者へ (新字新仮名) / 有島武郎(著)
女探偵おんなたんてい悒鬱ゆううつ
什器破壊業事件 (新字新仮名) / 海野十三(著)
彼はほとんど悒鬱ゆううつといってもいいような不愉快な気持ちに沈んで行った。おまけに二人をまぎらすような物音も色彩もそこには見つからなかった。
親子 (新字新仮名) / 有島武郎(著)
もらし所のないその活気が運動もせずにいる葉子のからだから心に伝わって、一種の悒鬱ゆううつに変わるようにさえ思えた。
或る女:1(前編) (新字新仮名) / 有島武郎(著)
かんのために背たけも伸び切らない、どこか病質にさえ見えた悒鬱ゆううつな少年時代の君の面影はどこにあるのだろう。
生まれいずる悩み (新字新仮名) / 有島武郎(著)
孤独に親しみやすいくせにどこか殉情的で人なつっこい私の心は、どうかした拍子に、このやむを得ない人間の運命をしみじみと感じて深い悒鬱ゆううつに襲われる。
生まれいずる悩み (新字新仮名) / 有島武郎(著)
葉子はこれまでの見窮められない不思議な自分の運命を思うにつけ、これから先の運命が空恐ろしく心に描かれた。葉子は不安な悒鬱ゆううつな目つきをして店を見回した。
或る女:1(前編) (新字新仮名) / 有島武郎(著)
底のない悒鬱ゆううつがともするとはげしく葉子を襲うようになった。いわれのない激怒がつまらない事にもふと頭をもたげて、葉子はそれを押ししずめる事ができなくなった。
或る女:2(後編) (新字新仮名) / 有島武郎(著)
やせて悒鬱ゆううつになった事から生じた別種の美——そう思って葉子がたよりにしていた美もそれはだんだんえ増さって行く種類の美ではない事を気づかねばならなくなった。
或る女:2(後編) (新字新仮名) / 有島武郎(著)
と事もなげに答えるつもりだったが、自分ながら悒鬱ゆううつだと思われるような返事になっていた。
星座 (新字新仮名) / 有島武郎(著)
誰か憎まない人があろう。それだから人間として誰か悒鬱ゆううつまゆをひそめない人があろう。
惜みなく愛は奪う (新字新仮名) / 有島武郎(著)
この問題は屡〻私達を悒鬱ゆううつにする。この問題の決定的批判なしには、神に対する悟りも、道徳律の確定も、科学の基礎も、人間の立場も凡て不安定となるだろう。私もまたこの問題には永く苦しんだ。
惜みなく愛は奪う (新字新仮名) / 有島武郎(著)