心棒しんぼう)” の例文
とあやしまれたがのちによく見れば、独楽こま金輪かなわの一たんに、ほそい金環きんかんがついていて、その金環から数丈すうじょうひも心棒しんぼうにまいてあるのだ。
神州天馬侠 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
すると富田六段は、背中せなか心棒しんぼうにしてくるくるまわり、けっして頭の方へこさせない。そのからだの動かしようのす速さといったらない。
柔道と拳闘の転がり試合 (新字新仮名) / 富田常雄(著)
幅の狭い茶色の帯をちょっきりむすびにむすんで、なけなしの髪を頸窩ぼんのくぼへ片づけてその心棒しんぼうに鉛色のかんざしを刺している。そうして襷掛たすきがけであった。
坑夫 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
ベッドの上にひっくり返って三造はただ茫然としている。身体も心も心棒しんぼうが抜けてしまったような工合である。日々の生活の無内容さが彼の中に洞穴をあけてしまったのか。
狼疾記 (新字新仮名) / 中島敦(著)
それもちゃんと一所ひとところに止ったまま、ホヤを心棒しんぼうのようにして、勢いよく廻り始めたのです。
魔術 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
私は此家ここ心棒しんぼうだから、てこでも動かないと言い出し、離屋はなれの窓々に頑丈がんじょうな格子を打ち付け、四方の戸にじょうをおろして、鍵は自分の手に持ったのが一つだけ、娘のお君のほかには
銭形平次捕物控:282 密室 (新字新仮名) / 野村胡堂(著)
かれらは、一家の心棒しんぼうになる主人を持たない、気のどくな人たちだった。
美しき元旦 (新字新仮名) / 吉田甲子太郎(著)
と云うので、是から亭主が無いから毎晩藤屋のうちへ永禪和尚忍んで来ては逢引を致します。心棒しんぼうが曲りますと附いて居る者がな曲ります、眞達という弟子坊主が曲り、庄吉という寺男が曲る。
敵討札所の霊験 (新字新仮名) / 三遊亭円朝(著)
短気の石山さんが、どんな久さんを慳貪けんどんに叱りつける。「車の心棒しんぼうかねだが、鉄だァて使つかるからナ、おらァ段々かせげなくなるのも無理はねえや」と、小男こおとこながら小気味よく稼ぐたつ爺さんがこぼす。
みみずのたはこと (新字新仮名) / 徳冨健次郎徳冨蘆花(著)
魔力まりょくはそれをはなった持主もちぬし怒気どきをうけて、ブウーンと独楽こま心棒しんぼう生命力せいめいりょくをよみがえらし、蛾次郎がじろうの顔へうなりをあげておどってきた。
神州天馬侠 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
筆を持つすべを知らない叔父は恐ろしく口の達者な人であった。ちょっとした心棒しんぼうがあると、その上に幾枚でも手製の着物を着せる事のできる人であった。
明暗 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
母「あゝうち心棒しんぼうがなくなればうしたもんか、情ないもの」
真景累ヶ淵 (新字新仮名) / 三遊亭円朝(著)
「自分を生活の心棒しんぼうと思わないで、綺麗きれいに投げ出したら、もっとらくになれるよ」と私がまた兄さんに云いました。
行人 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
独楽の心棒しんぼうは蛾次郎がほおずりするあぶらをうけて、くらやみのなかでもまわりそうになった。なんだかこの独楽にはれいがあっていきてるもののように思われる。
神州天馬侠 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
おれは脳がわるいから、狸の云うことなんか、よく分らないが、蕎麦屋や団子屋へ行って、中学の教師が勤まらなくっちゃ、おれみたような食い心棒しんぼうにゃ到底とうてい出来っ子ないと思った。
坊っちゃん (新字新仮名) / 夏目漱石(著)