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徳川氏
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とくがはし
ふりがな文庫
“
徳川氏
(
とくがはし
)” の例文
ところが
江戸時代
(
えどじだい
)
になると、
徳川氏
(
とくがはし
)
の
政治
(
せいじ
)
の
方針
(
ほうしん
)
がさうであり、また
世
(
よ
)
の
中
(
なか
)
が
治
(
をさま
)
つて
來
(
き
)
たゝめか、
學問
(
がくもん
)
が
盛
(
さか
)
んになつて
來
(
き
)
ました。
歌の話
(旧字旧仮名)
/
折口信夫
(著)
こゝに
信州
(
しんしう
)
の
六文錢
(
ろくもんせん
)
は
世々
(
よゝ
)
英勇
(
えいゆう
)
の
家
(
いへ
)
なること
人
(
ひと
)
の
能
(
よ
)
く
識
(
し
)
る
處
(
ところ
)
なり。はじめ
武田家
(
たけだけ
)
に
旗下
(
きか
)
として
武名
(
ぶめい
)
遠近
(
ゑんきん
)
に
轟
(
とゞろ
)
きしが、
勝頼
(
かつより
)
滅亡
(
めつばう
)
の
後
(
のち
)
年
(
とし
)
を
經
(
へ
)
て
徳川氏
(
とくがはし
)
に
歸順
(
きじゆん
)
しつ。
十万石
(旧字旧仮名)
/
泉鏡花
、
泉鏡太郎
(著)
それに
引
(
ひ
)
きかへて
日光
(
につこう
)
にある
徳川氏
(
とくがはし
)
の
廟
(
びよう
)
があのとほり
立派
(
りつぱ
)
なのを
見
(
み
)
て、
蒲生君平
(
がまうくんぺい
)
などが
憤慨
(
ふんがい
)
して
尊王
(
そんのう
)
の
念
(
ねん
)
を
起
(
おこ
)
したので、まことにむりのないことであります。
博物館
(旧字旧仮名)
/
浜田青陵
(著)
既
(
すで
)
に
去
(
さ
)
る
寛保年中
(
くわんぽねんちう
)
、
一時
(
いちじ
)
の
窮
(
きう
)
を
救
(
すく
)
はむため、
老職
(
らうしよく
)
の
輩
(
はい
)
が
才覺
(
さいかく
)
にて、
徳川氏
(
とくがはし
)
より
金子
(
きんす
)
一萬兩
(
いちまんりやう
)
借用
(
しやくよう
)
ありしほどなれば、
幼君
(
えうくん
)
御心
(
おんこゝろ
)
を
惱
(
なや
)
ませ
給
(
たま
)
ひ、
何
(
なん
)
とか
家政
(
かせい
)
を
改革
(
かいかく
)
して
國
(
くに
)
の
柱
(
はしら
)
を
建直
(
たてなほ
)
さむ
十万石
(旧字旧仮名)
/
泉鏡花
、
泉鏡太郎
(著)
“徳川氏”の解説
徳川氏(とくがわし/とくがわうじ、德川氏)は、武家・華族だった日本の氏族。永禄9年(1566年)に松平氏当主・松平家康が改姓したのに始まる。江戸時代には幕府将軍を世襲した徳川将軍家、およびその限られた親族(御三家・御三卿など)の家名となった。維新後には徳川氏からは12家が華族に列した(公爵家 3家、侯爵家 2家、伯爵家 2家、子爵家 1家、男爵家 4家)。
(出典:Wikipedia)
徳
常用漢字
小4
部首:⼻
14画
川
常用漢字
小1
部首:⼮
3画
氏
常用漢字
小4
部首:⽒
4画
“徳川”で始まる語句
徳川
徳川家康
徳川家
徳川慶喜
徳川勢
徳川方
徳川光圀
徳川万千代
徳川領
徳川家斉