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とくがはし
ところが
江戸時代になると、
徳川氏の
政治の
方針がさうであり、また
世の
中が
治つて
來たゝめか、
學問が
盛んになつて
來ました。
それに
引きかへて
日光にある
徳川氏の
廟があのとほり
立派なのを
見て、
蒲生君平などが
憤慨して
尊王の
念を
起したので、まことにむりのないことであります。
既に
去る
寛保年中、
一時の
窮を
救はむため、
老職の
輩が
才覺にて、
徳川氏より
金子一萬兩借用ありしほどなれば、
幼君御心を
惱ませ
給ひ、
何とか
家政を
改革して
國の
柱を
建直さむ