師直もろなお)” の例文
こう武蔵守むさしのかみ師直もろなおといういやなじじいが、卜部うらべの兼好という生ぐさ坊主に艶書の注文をしたなどというはなしを生ずるに至っているのである。
連環記 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
そこへ仁木義長とこう師直もろなおも、ふなべりを接している隣の船からはいって来て、同じような焦躁しょうそうをおもてに持ち、尊氏へむかって言った。
私本太平記:11 筑紫帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
わが国の師直もろなお、秀吉と同じく(『塵塚物語』五、『常山紀談』細川忠興ただおき妻義死の条、山路愛山の『後編豊太閤』二九一頁参照)
とんだ三段目の師直もろなおですが、勤めるところはきっと勤める武蔵守と云った風で、かみの御用はかゝさずに勤めていたのですが、どうも世間の評判がよろしくない。
三浦老人昔話 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
女学生やバスガアルの帽子を見るに、何ゆえか素晴らしく大きなもので、ことに前後へ間延びしている。師直もろなおかぶる帽子の如く、赤垣源蔵あかがきげんぞうのまんじゅうがさでもある。
めでたき風景 (新字新仮名) / 小出楢重(著)
彼等の眼底にちらちらと動く赤馬に乗った上野介の姿の中には「忠臣蔵」の師直もろなおによって象徴された奸悪かんあく無比な人間像はかすかなかげさえも残してはいないのである。
本所松坂町 (新字新仮名) / 尾崎士郎(著)
されば南シナ海の低気圧は岐阜ぎふ愛知あいちに洪水を起こし、タスカローラの陥落は三陸に海嘯かいしょうを見舞い、師直もろなおはかなわぬ恋のやけ腹を「物の用にたたぬ能書てかき」に立つるなり。
小説 不如帰  (新字新仮名) / 徳冨蘆花(著)
『吉野拾遺』に、正行が淫乱な師直もろなおの手から弁内侍を救ったと云う有名な話がある。
四条畷の戦 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
「む。ご舎弟直義さまの名で、そして諸事の奉行には、こう師直もろなおがあたって、いろいろなお支度を、この地でととのえおけとの御内命だ」
私本太平記:07 千早帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「それに師直もろなおなども、無事でいれば、今日など賑やかに振舞うやつだ。思えば武庫川の日から今日はちょうど二十五日目だな」
私本太平記:13 黒白帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
急遽、こう師直もろなおをして、全船列の水軍に、ともづなを解け! 帆支度にかかれ! と出港の令を出させようとしたのだった。
私本太平記:11 筑紫帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
昨今、京都の上下は恟々きょうきょうと万一の憂いにおびえ出しており、それに第一、執事の高ノ師直もろなおなどが、決して、尊氏を安閑あんかんとはさせておかなかった。
私本太平記:13 黒白帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
尊氏は帰るとさっそく朝廷に奏請して、亀山殿のあとを一大寺とする手つづきをすませ、こう師直もろなおと細川和氏かずうじのふたりを
私本太平記:13 黒白帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
そして武士では、正成、長年が“決断所付き”兼務を仰せつかり、また結城ゆうき親光や、塩冶えんや高貞、こう師直もろなお、佐々木道誉などの顔ぶれが加わっている。
尊氏のいいつけは、彼の耳のそばでささやかれたので、どんな内容かは、おなじふなやぐらにいた、師直もろなお賢俊けんしゅん、ほか幕僚の諸将にもわからなかった。
私本太平記:12 湊川帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「およそは、征伐が目的ではない。たださまたげを打ちくじぶんにて、たたかいの目標はるぞ。——あとはこう師直もろなおよりの執事の令に従って去就きょしゅういたせ」
私本太平記:11 筑紫帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
おそらく弟直義ただよし師直もろなおかを使者として、なにか申し入れて来るだろう。道誉のおもわくはそのときにあったのだ。翻弄ほんろうも自由、生殺与奪せいさつよだつもわが手にある。
私本太平記:07 千早帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
さっき、まだ杯盤もちらかっていたうちに、桃井から師直もろなおの手をとおして、そっと彼に渡されていたのであった。
私本太平記:07 千早帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
つづいて、尊氏も、そのきょを、東寺とうじから移して、三条坊門ノ御池おいけにおき、こう師直もろなおは一条今出川に住みついた。
私本太平記:12 湊川帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
直義はまだ、けさから兄に会っていないのだが、その尊氏の御池殿おいけどのの方へも、もちろん、こう師直もろなおらが駈けつけて、事は、さっそく報告されているにちがいない。
私本太平記:12 湊川帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「申しおくれました。——足利ノ庄の国元にいて、久しく留守の家職(国家老)を勤めおりまするこう武蔵守むさしのかみ師直もろなおと申すもの。以後、お見知りおき下されましょう」
私本太平記:06 八荒帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
御車寄の階下には、その足利家のこう師直もろなお、また、近衛このえの武将新田義貞、名和長年など、天皇のお目からみると、どれもぎょにくい面だましいが、敷波しきなみに充満していた。
とうの高氏も、めったにちょうに出ることもないらしい。社交上のやむない向きへは、執事のこう師直もろなおをやり、公庁の時務には、もっぱら弟の直義ただよしが出むいて事にあたっている。
山路を降り、明石の大蔵谷へ行きつくと、この方面、垂水たるみ、須磨、兵庫へかけては、たくさんな味方が落ち合っているのがわかった。こう師直もろなお師泰もろやす。赤松円心。細川定禅じょうぜん
私本太平記:10 風花帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
いずれにせよ、こう師直もろなおのごときは変っているとしても、人みな善人だったと思う。
随筆 私本太平記 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
こう師直もろなおはいま、どこからか、馬で六波羅へ飛んで帰って来たばかりである。
私本太平記:10 風花帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
こう師直もろなおにたのまれて、人妻へ横恋慕の手紙の代筆をするぐらいにしか使われていないが、将来、この兼好法師なども、私本太平記の中では、もっと、あの時代をどう生きたかという観点から
随筆 私本太平記 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
こう師直もろなおに、いっぱい食ったあの帰途だった。
私本太平記:06 八荒帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
こう師直もろなおからこう尊氏へ報告があった。
私本太平記:10 風花帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「いや」と、師直もろなおは見通していた。
私本太平記:08 新田帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
師直もろなおの弟、高ノ師泰もろやすだった。
私本太平記:08 新田帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
こう師直もろなお
私本太平記:06 八荒帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)