善悪ぜんあく)” の例文
旧字:善惡
もう善悪ぜんあくなしに、どうでもとまらなければならなかった。やっと林の間に出た。そこここに大きなこうがんころがっていた。
むろん人間にんげんには、賢愚けんぐ善悪ぜんあく大小だいしょう高下こうげ、さまざまの等差とうさがあるので、仏教ぶっきょう方便ほうべん穴勝あながちわるいものでもなく、まよいのふかものわかりのわるいものには
かゝる人はむねあきらかなるかゞみありて、善悪ぜんあくを照してよきあしきをりて其ひとりつゝしむ、これ明徳めいとくかゞみといふ。
戦争というものの善悪ぜんあく如何いかんにかかわらず祖国の滅亡することは耐えられることではなかった。そこへ出現して来た栖方せいほうの新武器は、聞いただけでも胸の躍ることである。
微笑 (新字新仮名) / 横光利一(著)
しかるに表裏ひょうりという言葉を用うると、とかく従来の習慣にとらわれ、表は善く、裏は悪きものと解し、ただちに是非ぜひ曲直きょくちょく善悪ぜんあくの区別をこれに結びつけ、物の見方人の見方をあやまることが多い。
自警録 (新字新仮名) / 新渡戸稲造(著)
ちゃわんの善悪ぜんあくは、なんできめるのだ。」と、殿とのさまはもうされました。
殿さまの茶わん (新字新仮名) / 小川未明(著)
人民じんみんからはさまざまの祈願きがんるであろうが、その正邪せいじゃ善悪ぜんあくべつとして、土地とち守護神しゅごじんとなったうえは一おう丁寧ていねい祈願きがん全部ぜんぶいてやらねばならぬ。取捨しゅしゃ其上そのうえことである。
矢張やは人物じんぶつ善悪ぜんあくは、うまくった場合ばあいよりもまずった場合ばあいによくわかるようでございます。