とぼ)” の例文
「一向嬉しくない。うしたもんだらう。」上人はとぼけた顔をしてじつと考へ込んだ。「もつとたんと落さなくつちやならないか知ら。」
しわりしわりとまたたいている阿賀妻は、そんなとぼけたような恰好かっこうで、その実自分にとっては周到な先の先まで思いめぐらし考案にふけっていた。
石狩川 (新字新仮名) / 本庄陸男(著)
「誰がって親分、とぼけちゃいけねえ、犯人ほしさあね、辰さ。とんぼの畜生、おいらがお菊坊をばっさりやったに違えねえと、ねえ親分、そくに口を割りやしたろう、え?」
小初は堅気かたぎな料理屋と知っていて、わざととぼけて貝原にいた。貝原は何の衝動しょうどうも見せず
渾沌未分 (新字新仮名) / 岡本かの子(著)
その弥次郎兵衛はたしかに理想的の弥次さんであった。あくまでも真面目に取り澄ましていて、それで何処どことなくとぼけている工合は、十返舎一九じっぺんしゃいっくの筆意を眼のあたりに見るようであった。
明治劇談 ランプの下にて (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
……清水谷公園を一廻りに大通を過ぎて番町へ帰ったが、ほっとして、浴衣に着換えて、足袋を脱ぐ時、ちょっと肩をすくめて、まずかかと、それから、向脛むこうずねを見て苦笑したのは、我ながらとぼけている。
雪柳 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
「ナニ稼業? そんなものがあるのか」そらっとぼけてやり込めた。
名人地獄 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
の額のまろいまぶたの肉の垂れた、眼の柔和な、何か老いてとぼづらの、耳の蔽い毛の房々ふさふさして、部厚い灰色の、凸凹でこぼこの背の、気の弱い緬羊は密集して、誰から、どの列から誘うとも誘われるともなしに
フレップ・トリップ (新字新仮名) / 北原白秋(著)
女中が彼を揺ると、彼はううんと態ととぼけた返事をした。
(新字旧仮名) / 原民喜(著)
「もうそんな時間かえ」と彼女はとぼけたように言った。
地上:地に潜むもの (新字新仮名) / 島田清次郎(著)
世の中には結構な音楽よりも、とぼけて世間話でもて聴かせた方が、ずつと利益ためになる人があるのを検校はよく知つてゐた。
わたくしは少しとぼけて訊いてみました。すると池上は右手を大きく振って
生々流転 (新字新仮名) / 岡本かの子(著)
近藤相模守が、論争をぼやかすべく、またとぼけて顔を突き出した。
魔像:新版大岡政談 (新字新仮名) / 林不忘(著)
まるい眼ばりもくるくると今日けふとぼけた宙がへり。
東京景物詩及其他 (新字旧仮名) / 北原白秋(著)
葉之助は空とぼけた。
八ヶ嶽の魔神 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
学生達はその皮肉なサウル爺さんの挨拶に度胆をぬかれて、みんな驢馬のやうにとぼけた顔をしてゐましたが、暫くすると、驢馬のやうに駆け出して行きました。
恐ろしきほど真白まつしろ白粉おしろいつけたとぼけがほ。
東京景物詩及其他 (新字旧仮名) / 北原白秋(著)
独帝カイゼルは急ぎの用事でもあるらしい顔附で、そのなかに紛れ込んで往つたが、擦れ違ひざま牛のやうなとぼけた顔の男を見ると、いきなり拳をあげてぽかりと帽子を叩きつけた。
人の見限つた女でも、欲しければ貰つてやつてもい。しかしまだ籍が抜けないのに態々わざ/\離婚訴訟の渦中に飛び込んでその女の旅先までも追ひゆき、女のうちへは行き度くないからだととぼけ顔。
「さあ、その返礼でございますて。」伊豆守はわざとぼけた顔をしてみせた。