“吊(とむら)” の例文
「お前さんが七年前(あと)に清水さんを殺した其の白骨でも出さなけりゃア、跡に残った女房子(にょうぼこ)が七回忌になりやしても、訪(と)い吊(とむら)いも出来やせん」
然れども思え、いたずらに哭して慟(どう)して、墓前の花に灑(そそ)ぎ尽したる我が千行(せんこう)の涙(なんだ)、果して慈父が泉下の心に協(かな)うべきか、いわゆる「父の菩提(ぼだい)」を吊(とむら)い得べきか。
父の墓 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
如是(かゝる)心を有つて居しかと責めては後にて吊(とむら)はれむ、一度はどうせ捨つる身の捨処よし捨時よし、仏寺を汚すは恐れあれど我が建てしもの壊れしならば其場を一歩立去り得べきや
五重塔 (新字旧仮名) / 幸田露伴(著)
止(やめ)て厚(あつ)く庄兵衞が跡(あと)を吊(とむら)ふ可し元益は又其母勝こと年(とし)寄(より)て相續人(さうぞくにん)の庄兵衞に死別(しにわか)れ然こそ便(びん)なく思ふ可ければ元益は醫業(いげふ)を廢(はい)して更(さら)に音羽町の町役人となり庄兵衞の跡(あと)を相續して母(はゝ)勝(かつ)に孝養(かうやう)を
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
寛政八年襄年十八、叔父頼杏坪に従つて東遊し昌平黌(しやうへいくわう)に学び尾藤二洲の塾に在り。此行一の谷を過ぎて平氏を吊(とむら)ひ、湊川(みなとがは)に至りて楠氏の墳に謁し、京都を過ぎて帝京を見、東海道を経て江戸に入る。
頼襄を論ず (新字旧仮名) / 山路愛山(著)
知らない事とてお吊(とむら)いにも出ませんで、嘸(さぞ)まア御愁傷で、あなたが此方(こちら)へ入らっしって御安心になってお亡(かく)れで、本当にまア旦那様は毎度御贔屓にして招(よ)んで下すっても
奢を恣(ほしいま)まにせば熊掌(ゆうしやう)の炙りものも食(くら)ふに美味(よきあぢ)ならじ、足るに任すれば鳥足(てうそく)の繕したるも纏ふに佳衣(よききぬ)なり、ましてや蘿(つた)のからめる窓をも捨てゞ月我を吊(とむら)ひ、松たてる軒に来つては風我に戯る
二日物語 (新字旧仮名) / 幸田露伴(著)
金子(かね)が入りますことゆえ、お富が叔母と相談して私を吉原の松葉屋へ娼妓に売り、その身代(みのしろ)でお父さんの石塔を建てゝ吊(とむら)い料にして下さいませんと、お父さんの耻になりますからと申しますと