“加瀬(かせ)” の例文
いよ/\大問題(だいもんだい)。早速(さツそく)、水谷氏(みづたにし)の處(ところ)へ報告(ほうこく)すると、氏(し)は大(おほ)いに喜(よろこ)んで、早速(さつそく)十二月(ぐわつ)に入(い)つて、望蜀生(ばうしよくせい)と共(とも)に加瀬(かせ)に行(ゆ)つた。
その上、三人でいた間は、肥前(ひぜん)の国(くに)加瀬(かせ)の荘(しょう)にある成経の舅(しゅうと)から平家の目を忍んでの仕送りで、ほそぼそながら、朝夕(ちょうせき)の食に事を欠かなかった。
俊寛 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
「もういいね。十羽ばかり取ったがね。僕が十羽、大谷(おおたに)が七羽、加瀬(かせ)と山内(やまのうち)が八羽ずつ」
野分 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
實物(じつぶつ)を見(み)ぬから、勿論(もちろん)斷定(だんてい)は出來(でき)ぬが、樽(たる)の徳利(とくり)といふのは、加瀬(かせ)の彌生式(やよひしき)のと同形(どうけい)同類(どうるゐ)ではなかつたらうか。
それから十町(ちやう)と隔(へだ)たつて居(を)らぬ加瀬(かせ)の貝塚(かひづか)に廻(まは)つて、小發掘(せうはつくつ)を試(こゝろ)み、相變(あひかは)らず失敗(しつぱい)して歸宅(きたく)した。
ちよい/\年(ねん)に四五回位(くわいくら)ゐは、他(ほか)を表面採集(へうめんさいしふ)の序(つい)でに立寄(たちよ)つて、磨石斧(ませきふ)、石劒折(せきけんをれ)、打石斧(だせきふ)、其他(そのた)を拾(ひろ)つて居(ゐ)たが、四十年(ねん)六月(ぐわつ)十四日(か)に、一人(ひとり)で加瀬(かせ)、駒岡(こまをか)から、此方(こつち)へ採集(さいしふ)に來(き)た時(とき)も
同形(どうけい)とすれば加瀬(かせ)と同(おな)じく樽(たる)の貝塚(かひづか)も、特種(とくしゆ)の物(もの)ではなかつたらうか。八木(やぎ)水谷氏等(みづたにしら)が見出(みいだ)したといふ小破片(せうはへん)は今日(こんにち)ほど研究(けんきう)されて居(を)らぬ其時代(そのじだい)の眼(め)で見(み)て、普通(ふつう)貝塚(かひづか)のと見過(みすご)したのではあるまいか。