つか)” の例文
と。(一五)なにもつしようせられたる。(一六)太史公たいしこういはく、箕山きざんのぼりしに、其上そのうへけだ許由きよいうつかりとふ。
その痩せたる姿、黄ばみし面は、あたりの草木のすくやかに生ひ立てると表裏うらうへにて、つかを出でたる枯骨にも譬へつべし。
府庁でも南の家の再三の怪事を見て、南の悪行の報いであるとし、つかあばくの罪に問うて南を死刑に処した。
竇氏 (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)
子貢のみはつかのほとりにいおりすることおよそ六年にして去った。弟子および魯人で冢のあたりに家するもの百有余室、孔里と呼ばれた。魯では世々孔子の冢をまつった。
孔子 (新字新仮名) / 和辻哲郎(著)
軍士ぐんしつかはしつかをさむ。其時そのとき銘誌めいしたづぬるにることなく、つかたるをらずとふ。
唐模様 (旧字旧仮名) / 泉鏡花泉鏡太郎(著)
湖畔の岡の東側にようやく蔭がひろがって晴れた日の太陽はひとしお名残なごりおしげにたゆたいつつ沈んでゆく。黒姫山は日輪のつかか、きえがてにする微光をみれば晴れの夕べもまたあわれである。
島守 (新字新仮名) / 中勘助(著)
其一で鶴山と呼ばれているのは、前方後円の大古墳で、正面を東に向け、周囲七町に余る堀をめぐらしていた。今はつかの上まで開墾されて桑畑と成っているが、昔は大きなならの林で狐が棲んでいた。
山と村 (新字新仮名) / 木暮理太郎(著)
われはふとかうべめぐらしてあたりを見しに、我を距ること數歩の處に、故墳の址あり。むかしドメニカが許に養はれし時、往きて遊びしつかに比ぶれば、大さは倍して荒れたることも一入ひとしほなり。
つかでんとするに、あり、いなごごとぶ。南房なんばう人形氏にんぎやうし矢繼早やつぎばやところ小賊せうぞくみなたふる。陽知春やうちしゆん一人いちにんのみいのちまつたうすることをて、たる寶貝はうばいこと/″\くこれをつかかへす。くわんまたのちかれゆるしつ。
唐模様 (旧字旧仮名) / 泉鏡花泉鏡太郎(著)