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冢
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つか
ふりがな文庫
“
冢
(
つか
)” の例文
と。
此
(
こ
)
れ
(一五)
何
(
なに
)
を
以
(
もつ
)
て
稱
(
しよう
)
せられたる。
(一六)
太史公
(
たいしこう
)
曰
(
いは
)
く、
余
(
よ
)
、
箕山
(
きざん
)
に
登
(
のぼ
)
りしに、
其上
(
そのうへ
)
に
蓋
(
けだ
)
し
許由
(
きよいう
)
の
冢
(
つか
)
有
(
あ
)
りと
云
(
い
)
ふ。
国訳史記列伝:01 伯夷列伝第一
(旧字旧仮名)
/
司馬遷
(著)
その痩せたる姿、黄ばみし面は、あたりの草木のすくやかに生ひ立てると
表裏
(
うらうへ
)
にて、
冢
(
つか
)
を出でたる枯骨にも譬へつべし。
即興詩人
(旧字旧仮名)
/
ハンス・クリスチャン・アンデルセン
(著)
府庁でも南の家の再三の怪事を見て、南の悪行の報いであるとし、
冢
(
つか
)
を
発
(
あば
)
くの罪に問うて南を死刑に処した。
竇氏
(新字新仮名)
/
田中貢太郎
(著)
子貢のみは
冢
(
つか
)
のほとりに
廬
(
いおり
)
することおよそ六年にして去った。弟子および魯人で冢のあたりに家するもの百有余室、孔里と呼ばれた。魯では世々孔子の冢を
祠
(
まつ
)
った。
孔子
(新字新仮名)
/
和辻哲郎
(著)
軍士
(
ぐんし
)
を
遣
(
つか
)
はし
冢
(
つか
)
を
修
(
をさ
)
む。
其時
(
そのとき
)
銘誌
(
めいし
)
を
尋
(
たづ
)
ぬるに
得
(
う
)
ることなく、
誰
(
た
)
が
冢
(
つか
)
たるを
知
(
し
)
らずと
云
(
い
)
ふ。
唐模様
(旧字旧仮名)
/
泉鏡花
、
泉鏡太郎
(著)
▼ もっと見る
湖畔の岡の東側にようやく蔭がひろがって晴れた日の太陽はひとしお
名残
(
なごり
)
おしげにたゆたいつつ沈んでゆく。黒姫山は日輪の
冢
(
つか
)
か、きえがてにする微光をみれば晴れの夕べもまたあわれである。
島守
(新字新仮名)
/
中勘助
(著)
其一で鶴山と呼ばれているのは、前方後円の大古墳で、正面を東に向け、周囲七町に余る堀を
繞
(
めぐ
)
らしていた。今は
冢
(
つか
)
の上まで開墾されて桑畑と成っているが、昔は大きな
楢
(
なら
)
の林で狐が棲んでいた。
山と村
(新字新仮名)
/
木暮理太郎
(著)
われはふと
首
(
かうべ
)
を
囘
(
めぐ
)
らしてあたりを見しに、我を距ること數歩の處に、故墳の址あり。むかしドメニカが許に養はれし時、往きて遊びし
冢
(
つか
)
に比ぶれば、大さは倍して荒れたることも
一入
(
ひとしほ
)
なり。
即興詩人
(旧字旧仮名)
/
ハンス・クリスチャン・アンデルセン
(著)
冢
(
つか
)
を
出
(
い
)
でんとするに、
矢
(
や
)
あり、
蝗
(
いなご
)
の
如
(
ごと
)
く
飛
(
と
)
ぶ。
南房
(
なんばう
)
の
人形氏
(
にんぎやうし
)
、
矢繼早
(
やつぎばや
)
に
射
(
い
)
る
處
(
ところ
)
、
小賊
(
せうぞく
)
皆
(
みな
)
倒
(
たふ
)
る。
陽知春
(
やうちしゆん
)
一人
(
いちにん
)
のみ
命
(
いのち
)
を
全
(
まつた
)
うすることを
得
(
え
)
て、
取
(
と
)
り
得
(
え
)
たる
寶貝
(
はうばい
)
は
盡
(
こと/″\
)
くこれを
冢
(
つか
)
に
返
(
かへ
)
す。
官
(
くわん
)
も
亦
(
また
)
後
(
のち
)
、
渠
(
かれ
)
を
許
(
ゆる
)
しつ。
唐模様
(旧字旧仮名)
/
泉鏡花
、
泉鏡太郎
(著)
冢
漢検1級
部首:⼍
10画
“冢”を含む語句
冢中
冢穴
冢不騫
冢土
冢子
冢田大峰
四冢
梅児冢
梅若冢
犬冢印南
犬冢吉人
白茅冢
空冢中
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