内蔵助くらのすけ)” の例文
山浦環は、又の名を内蔵助くらのすけともった。まだ二十歳はたちぐらいで、固くかしこまって坐った。黒いひとみには、どこかに稚気ちき羞恥はにかみを持っていた。
山浦清麿 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
内蔵助くらのすけが「目的はたった一つ」という言葉を繰り返す場面で、何かもう少しアクセントをつけるような編集法はないものかと思われた。
映画雑感(Ⅲ) (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
御前ごぜん谷の下およそ一里ばかりにして、内蔵助くらのすけ谷と相対して東から落ち込む沢といえば、赤沢である。すなわち栂谷は赤沢と同じ沢であることが分る。
といっている、四十四、五のでっぷりした、温厚な人物は、近江の豪農、垣見吾平という触れ込みで泊まりこんでいる大石内蔵助くらのすけである。
口笛を吹く武士 (新字新仮名) / 林不忘(著)
稲葉一徹の兵、逐わんとしたが、斎藤内蔵助くらのすけ、「磯野の今日のふるまいは、凡人に非ず、追うとも易く討ち取るべきに非ず」
姉川合戦 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
「——〽わざとよろめき立ち上り、心は後にうしろ髪、取って引かるる気はすれどオ。気を励ました内蔵助くらのすけエ、——」
蠅男 (新字新仮名) / 海野十三(著)
内蔵助くらのすけは、ふと眼を三国誌からはなして、遠い所を見るような眼をしながら、静に手をかたわらの火鉢の上にかざした。
或日の大石内蔵助 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
「これは私の古い知人で、斎藤内蔵助くらのすけという人です。どうぞこの後よろしくお附合い下さるように」
蒲生鶴千代 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
大石内蔵助くらのすけ山科やましなを引払った後、在京の同志も、前後して江戸へ下って行ったが、小野寺父子も、いよいよ都を立つことになった。
急崖をからんで棒小屋沢の出合迄は、甚しき高廻りをせずとも済むのであるが、これから内蔵助くらのすけ谷の合流点に至る迄の間は、下廊下の核心であるから
黒部峡谷 (新字新仮名) / 木暮理太郎(著)
光秀の方は、光秀麾下の雄将斎藤内蔵助くらのすけが中央軍の先頭で明智十郎左衛門、柴田源左衛門等之につき、四千人。左備ひだりぞなえは津田与三郎、志水嘉兵衛など三千五百人。
山崎合戦 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
こう思いながら、内蔵助くらのすけは眉をのべて、これも書見にんだのか、書物を伏せた膝の上へ、指で手習いをしていた吉田忠左衛門に、火鉢のこちらから声をかけた。
或日の大石内蔵助 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
石川兵庫介が六郎兵衛に腕を折られたとき、藤沢内蔵助くらのすけは石川と共にこの道場を出ていった。そのまえ、藤沢は柿崎六郎兵衛のやりかたを怒って、みんないっしょに出よう、と主張していた。
伏見人形に思い出す事多く、祭り日ののぼり立並ぶ景色に松蕈まつたけ添えて画きし不折ふせつの筆など胸に浮びぬ。山科やましなを過ぎて竹藪ばかりの里に入る。左手の小高き岡の向うに大石内蔵助くらのすけの住家今に残れる由。
東上記 (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
彼は城中に入るとすぐ、大広間を用いて、斎藤内蔵助くらのすけ以下、多くの留守居衆にえつを与え、各〻から挨拶をうけて後、初めて奥曲輪おくぐるわに入った。
新書太閤記:07 第七分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
藤左衛門は、こう云って、伝右衛門と内蔵助くらのすけとを、にこにこしながら、等分に見比べた。
或日の大石内蔵助 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
当時、織田の長臣柴田修理亮しゅりのすけ勝家は、上杉景勝を討つべく、佐々内蔵助くらのすけ成政、前田又左衛門利家、佐久間玄蕃允げんばのすけ盛政、及び養子伊賀守勝豊以下を率いて、越中魚津に在陣中であった。
賤ヶ岳合戦 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
此処から左に梯子谷の細渓を辿って、別山と黒部別山とを連絡する尾根の鞍部へ登るのは容易であるが、内蔵助くらのすけ平に向った側は一面に藪が繁っていて、通り抜けるのに骨が折れるそうである。
黒部川奥の山旅 (新字新仮名) / 木暮理太郎(著)
「いつものことだ」と藤沢内蔵助くらのすけささやいた。
「たいそう詳しいねえ。まだ、通っても来ねえ道順を。まさか、おめえさんは、大石内蔵助くらのすけの親類でもあるめえが」
大岡越前 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
炯々けいけいたる幕将たちの眼もとは源右衛門へそそがれた。霜鬢そうびん白き斎藤内蔵助くらのすけおもて、ほとんど仮面かとも見えるほど悲壮な気稟きひんをおびている左馬介光春さまのすけみつはるの顔。
新書太閤記:07 第七分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
後に、彼の思いは届いて、この云い写しの遺言は、源五右衛門の手から、国許の大石内蔵助くらのすけの胸にまで運ばれた。
新編忠臣蔵 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
そしてやがて、国家老大石内蔵助くらのすけの屋敷の長屋門のうちへこじりを上げた儘、大股に入って行くのであった。
新編忠臣蔵 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
その内蔵助くらのすけ利三のほかにも、素槍すやりをかかえやいばを握りしめた幾名かの者が同じように身をこわめていることはたしかである。——光春の感覚はあきらかにそれを見抜いている。
新書太閤記:07 第七分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
同族の左馬之介さまのすけ光春様を始め、溝尾茂朝みぞおしげとも御牧兼顕みまきかねあき、斎藤内蔵助くらのすけ、村越三十郎、天野源右衛門、そのほか老臣旗本たちが、甲冑かっちゅうに身をかため、爛々らんらんと恐い眼をそろえて、たてを並べたように
茶漬三略 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
変じ、軽々しき微行にては参って候が、それがしは御存知の佐々内蔵助くらのすけ成政でござる。折入って、徳川どののおんために、申し談じたいことなおざって、越路こしじよりはるばるまかり申してござる
新書太閤記:11 第十一分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
諜状しめしじょうの手ちがいか、或いは諸軍勢の用意が遅れているもののような程度に解したがっているふうだったが、そう質問をうけた老臣の斎藤内蔵助くらのすけ利三は、すでに非なる大勢が心のうちに読めていた。
新書太閤記:08 第八分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)