)” の例文
龐涓はうけんくこと三日みつかおほひよろこんでいはく、『われもとよりせいぐんけふなるをる。りて三日みつか士卒しそつぐるものなかばにぎたり』
ややあって軍吏ぐんりの一人が口を切り、先年浞野侯さくやこう趙破奴ちょうはど胡軍こぐんのために生擒いけどられ、数年後に漢にげ帰ったときも、武帝はこれを罰しなかったことを語った。
李陵 (新字新仮名) / 中島敦(著)
しかれども巻三百四、鄭和伝ていかでんには、成祖せいそ恵帝けいていの海外にげたるを疑い、これ蹤跡しょうせきせんと欲し、且つ兵を異域に輝かし、中国の富強を示さんことを欲すとしるせり。
運命 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
家の者もやはりそういって珏に冗談をいったが、後になってその鸚鵡はくさりってげていった。玉も珏も始めて阿英が旧約があるといった言葉の意味を悟ることができた。
阿英 (新字新仮名) / 蒲 松齢(著)
それゆえ、胡陣こじんげて単于ぜんうの前に引出されるや、伏兵をおそれて引上げる必要のないことを力説した。言う、漢軍には後援がない。矢もほとんど尽きようとしている。
李陵 (新字新仮名) / 中島敦(著)
建文皇帝果して崩ぜりや否や。明史みんしには記す、帝終る所を知らずと。又記す、あるいう帝地道ちどうよりぐと。又記す、滇黔てんきん巴蜀ばしょくかんあいつたう帝の僧たる時の往来の跡ありと。
運命 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
その父は胡人こじんだが、ゆえあって衛律は漢の都で生まれ成長した。武帝に仕えていたのだが、先年協律都尉きょうりつとい李延年りえんねんの事にするのをおそれて、げて匈奴きょうどしたのである。
李陵 (新字新仮名) / 中島敦(著)