“しんさい”のいろいろな漢字の書き方と例文
語句割合
震災51.9%
神采7.4%
真斎3.7%
新歳3.7%
新菜3.7%
新蔡3.7%
晋齋3.7%
榛斎3.7%
眕斎3.7%
真済3.7%
神彩3.7%
薪斎3.7%
賑済3.7%
(注) 作品の中でふりがなが振られた語句のみを対象としているため、一般的な用法や使用頻度とは異なる場合があります。
じつ著者ちよしやごときは、地震學ぢしんがく今日こんにち以上いじよう進歩しんぽしなくとも、震災しんさいほとんど全部ぜんぶはこれをまぬか手段しゆだんがあるとかんがへてゐるものゝ一人ひとりである。
地震の話 (旧字旧仮名) / 今村明恒(著)
実に白い、雪以上の、白以上の強い、輝く白、その「白」がその全面をもって、直射する、また氾濫はんらんする日光を照りかえす、その「白」の美感は崇高そのもの、神采しんさいそのものでなくて何であろう。
木曾川 (新字新仮名) / 北原白秋(著)
十年の長い間、病床にこもってはいるものの、以前は松平伊予守の典医てんいを勤めていた真斎しんさいとて、その言うところは、人柄をしのばせるものがあった。
真斎しんさいの話を聞いているうちにこいつア袖ノ井だと、はっきりと判ったが、使いを寄越されてみると、一晩だけア騒がねえで、その最後をきよくさしてえと、黙って手をつかねていたわけだ。
新歳竹枝 新歳しんさい 竹枝ちくし
矢はずぐさ (新字旧仮名) / 永井荷風(著)
これでおん身達は、子々孫々までの安住と食を得、わが藩主もいささかこの開田かいでん新菜しんさいをもつて、窮せる臣下と藩政とを潤すことができるであらう。君への奉公は、又、民への奉仕である。
折々の記 (旧字旧仮名) / 吉川英治(著)
東晋の干宝かんぽうあざな令升れいしょうといい、その祖先は新蔡しんさいの人である。
伯父の高根たかね晋齋しんさいは、片手に六連発銃を持ち襖の間から狙いを定め、カチリと弾金ひきがねを引く途端、ドーンと弾丸たまがはじき出る、キャー、ウーンと娘は気絶をした様子。
その後、大槻玄沢げんたく、宇田川槐園かいえん継起けいきし、降りて天保弘化の際にいたり、宇田川榛斎しんさい父子、坪井信道、箕作阮甫げんぽ、杉田成卿せいけい兄弟および緒方洪庵等、接踵せっしょう輩出せり。
慶応義塾の記 (新字新仮名) / 福沢諭吉(著)
星渚また眕斎しんさいと号し、安永年間市川鶴鳴いちかわかくめいが尾州に流寓中これに従って学んだ。鶴鳴の江戸に没した時永井星渚は鶴鳴の男達斎の嘱を受けて墓碑銘を撰した。
下谷叢話 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
また仁明にんみょう天皇の御代に僧真済しんさいが唐に渡る航海中に船が難破し、やっといかだして漂流二十三日、同乗者三十余人ことごとく餓死し真済と弟子の真然しんねんとたった二人だけ助かったという記事がある。
颱風雑俎 (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
と、読経どきょうの声が絶え、いわやの口へ百地三太夫神彩しんさい奕々えきえきとして現われたが
蔦葛木曽棧 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
わたくしは五山堂詩話中に於て唯一の西脇薪斎しんさいを見出した。薪斎は福島の士である。薪斎と棠園との縁故ありや否を知らない。
伊沢蘭軒 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
いのりには効あり、ことばにはげんありければ、民翕然きゅうぜんとして之に従いけるに、賽児また饑者きしゃにはを与え、凍者には衣を給し、賑済しんさいすること多かりしより、ついに追随する者数万に及び、とうとびて仏母と称し
運命 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)