項羽こうう)” の例文
もし項羽こううに英雄の器があれば、垢を含んでも、烏江を渡るです。そうして捲土重来けんどちょうらいするです。面目めんもくなぞをかまっている場合じゃありません。
英雄の器 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
見るとそれは秘命をおびて、伊那丸いなまるの本陣あまたけをでた奔馬ほんば項羽こうう」。——上なる人はいうまでもなく、白衣びゃくえ木隠龍太郎こがくれりゅうたろうだ。
神州天馬侠 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
漢の高祖との戦に破れた項羽こううが、虞氏ぐしとの別れの切なさを歌ったものだが、今日の重衡の心境そのままをいいあらわしてまことにみごとであった。
初めの五帝本紀ごていほんぎから夏殷周秦かいんしゅうしん本紀あたりまでは、彼も、材料を按排あんばいして記述の正確厳密を期する一人の技師に過ぎなかったのだが、始皇帝を経て、項羽こうう本紀にはいるころから
李陵 (新字新仮名) / 中島敦(著)
烏江うこう水浅みずあさくして騅能逝すいよくゆくも一片いっぺんの義心ぎしん不可東ひんがしすべからずとは、往古おうこ漢楚かんその戦に、楚軍そぐんふるわず項羽こううが走りて烏江うこうほとりに至りしとき、或人はなお江を渡りて、再挙さいきょの望なきにあらずとてその死をとどめたりしかども
瘠我慢の説:02 瘠我慢の説 (新字新仮名) / 福沢諭吉(著)
小翠は戸を閉めて、また元豊を扮装ふんそうさして項羽こううにしたて、呼韓耶単于こかんやぜんうをこしらえ、自分はきれいな着物を着て美人に扮装して帳下の舞を舞った。またある時は王昭君おうしょうくんに扮装して琵琶をいた。
小翠 (新字新仮名) / 蒲 松齢(著)
この辺は、かん高祖こうその大軍をやぶった古戦場である。またかの有名な項羽こうう虞美人ぐびじんが最期の悲涙を濡らして相ようした烏江うこう夜陣やじんのあとも近い。
新・水滸伝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
すると確かにその人物はハツラツたる呼吸をめる。これで、「作ル」ことになる心配はないわけである。しかし、(と司馬遷が思うに)これでは項羽こううが項羽でなくなるではないか。
李陵 (新字新仮名) / 中島敦(著)
三千年前の項羽こううもって今日の榎本氏をせむるはほとんど無稽むけいなるにたれども、万古不変ばんこふへんは人生の心情にして、氏が維新いしんちょうに青雲の志をげて富貴ふうき得々とくとくたりといえども、時にかえりみて箱館はこだての旧を思い
瘠我慢の説:02 瘠我慢の説 (新字新仮名) / 福沢諭吉(著)
「何しろ項羽こううと云う男は、英雄のうつわじゃないですな。」
英雄の器 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
仮屋かりやまくをしぼって、陣をでた木隠龍太郎は、みずから「項羽こうう」と名づけた黒鹿毛くろかげ駿馬しゅんめにまたがり、雨ヶ岳の山麓さんろくから文字もんじに北へむかった。
神州天馬侠 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
きょうで四日目のは、まさに沈もうとしているのに小太郎山こたろうざんへむかって、駿馬しゅんめ項羽こううをとばせた木隠龍太郎こがくれりゅうたろうはそも、どこになにしているのだろう。
神州天馬侠 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
が、これは「項羽こうう本紀」にある支那軍談とそっくりである。おそらくはそれの模作もさくだろう。しかし義貞がこれほどな意気であったのはまちがいない。
私本太平記:12 湊川帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「知っておけ。義貞、この女はぞっこん好きで好きでならぬが、さりとていくさを怠るものではない。そちまでがわしを虞氏ぐしに溺れた項羽こううのごとき愚将と見るな」
私本太平記:11 筑紫帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
義仲が戦場に愛人をつれていたのは、かの項羽こううが陣中に虞美人ぐびじんを擁していたことと、どこか似ている。
随筆 新平家 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「いや顧雍こよう。それは気が小さいことばだぞ。むかし漢の高祖は項羽こううから封を受けたこともあったが、後には漢中の王になられたではないか。みな時世ときよ時節じせつと申すものだ」
三国志:10 出師の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
それもまた主君玄徳の仁愛を証するもので、恥なき敗戦とは意義が違う。むかし項羽こううは戦うごとに勝ちながら、垓下がいかの一敗に仆るるや、高祖に亡ぼされているでしょう。
三国志:07 赤壁の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
虞姫ぐき項羽こううの、別れともない身もだえを
新・水滸伝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)