総督そうとく)” の例文
「うん、あれか。あれは、後で気がついたが、シンガポール総督そうとくの声じゃった——ううん、もうすこし味が何とかならんものか……」
九州きゅうしゅう総追捕使そうついほしというのは、九州きゅうしゅう総督そうとくという意味いみなのです。するとほか大名だいみょうたちは、これも半分はんぶんはこわいし、半分はんぶんはいまいましがって
鎮西八郎 (新字新仮名) / 楠山正雄(著)
中国の総督そうとく、羽柴筑前守秀吉、安土へ上府じょうふす——と公然にとなえて、彼は、その任地播州ばんしゅう姫路からものものしくも出向いて来た。
新書太閤記:06 第六分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
エジプト総督そうとくとも親交のあるアバス・ヌリ殿下という方が大の英仏贔屓びいきで、しかもトルコの教育制度改革委員会の上に絶対的勢力を投げているので
戦雲を駆る女怪 (新字新仮名) / 牧逸馬(著)
彼は今や、まさしくジナイーダの寵愛ちょうあいを失ったので、老夫人に取入ろうと格別の勉励べんれいぶりを示し、貸馬車で夫人のおともをして、総督そうとくの所へ出かけさえした。
はつ恋 (新字新仮名) / イワン・ツルゲーネフ(著)
しかるに脱走だっそうの兵、常に利あらずしていきおいようやせまり、また如何いかんともすべからざるに至りて、総督そうとくを始め一部分の人々は最早もはやこれまでなりと覚悟かくごを改めて敵の軍門にくだ
瘠我慢の説:02 瘠我慢の説 (新字新仮名) / 福沢諭吉(著)
そのむかしには、色あざやかなゴンドラの上でタンバリンの音がひびき、婚約こんやくの指輪が輝かしい総督そうとくの船ブーチントロから海の女王アドリアへ投げこまれたのです。
摂津守を総督そうとくに任じて随行ずいこうには勝麟太郎かつりんたろう(今の勝安芳やすよし)以下長崎伝習生でんしゅうせいを以てし、太平洋をわたりて北米ほくべい桑港サンフランシスコくことを命じ、江戸湾を解纜かいらんしたるは、実に安政あんせい六年十二月なり。
其れから明治廿九年乃木中将が台湾たいわん総督そうとくとなる時、母堂が渡台の御暇乞に参内さんだいして、皇后陛下の御問に対し、ばばは台湾の土にならん為、せがれ先途せんどを見届けん為に台湾にまいります
みみずのたはこと (新字新仮名) / 徳冨健次郎徳冨蘆花(著)
養父ちちでもあり、中国総督そうとくでもある彼だが、秀吉は凱旋がいせん将軍をむかえるの礼をもって、わが子を待った。
新書太閤記:06 第六分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
箱館はこだて五稜郭ごりょうかく開城かいじょうのとき、総督そうとく榎本氏より部下に内意を伝えて共に降参せんことを勧告かんこくせしに、一部分の人はこれをきいおおいに怒り、元来今回のきょは戦勝を期したるにあらず
瘠我慢の説:02 瘠我慢の説 (新字新仮名) / 福沢諭吉(著)
幕臣また諸藩士中の佐幕党さばくとうは氏を総督そうとくとしてこれに随従ずいじゅうし、すべてその命令に従て進退しんたいを共にし、北海の水戦、箱館の籠城ろうじょう、その決死苦戦の忠勇ちゅうゆう天晴あっぱれ振舞ふるまいにして、日本魂やまとだましいの風教上より論じて
瘠我慢の説:02 瘠我慢の説 (新字新仮名) / 福沢諭吉(著)