とつ)” の例文
私は学校へ出たいといふやうな最初の希望はもうとつくに、捨てて了つて居たが、清水へ引越して来てからは、一層自分の将来を気にする様になつた。
世の中へ (新字旧仮名) / 加能作次郎(著)
「まだ直らないのか?」義雄は止むを得ず笑ひにまぎらして、自分の方はとつくに直つたのを氣の毒にも思はれる。
泡鳴五部作:04 断橋 (旧字旧仮名) / 岩野泡鳴(著)
やつと眼がさめた時には、もうとつくに太陽が高く昇つてゐたので、彼はびつくりした。⦅俺は朝祷にも弥撒にも、寝すごして、よう詣らなかつたのだな!⦆
ね——義兄にいさん、……お可哀相かあいさうは、とつくのむかし通越とほりこして、あんな綺麗きれいかたうおなくなんなさるかとおもふと、真個ほんとう可惜あつたらものでならないんですもの。
続銀鼎 (新字旧仮名) / 泉鏡花泉鏡太郎(著)
私自身お上品ぶつた芸術家のほこりなんかは、とつくにどこかへ吹飛んで、一人の人間として、何か大衆のなかに働いてゐる人の安らかさを思ふやうになつてゐた。
町の踊り場 (新字旧仮名) / 徳田秋声(著)
竹丸はよくお駒から怪猫ばけねこの話を聽かされてゐたので、自分の母はとつくに何處かの古猫に喰ひ殺されて、猫が母の姿になつてゐるのではあるまいかと思つてゐた。
天満宮 (旧字旧仮名) / 上司小剣(著)
勝代はとつくに炬燵を離れて、小さい弟を連れて座敷の縁側へ出て日向ひなたぼつこをしてゐた。
入江のほとり (旧字旧仮名) / 正宗白鳥(著)
自分じぶん丈夫ぢやうぶでせえありやとつくにやつちまつたんだが」と小聲こごゑでいつた。おしなはどうも勘次かんじすのがいやであつた。しかなんだかさう明白地あからさまにもいはれないのでういつたのであつた。
(旧字旧仮名) / 長塚節(著)
あなたの抱いてゐる同情は、法に合つてもゐないし、きよらかでもない。そんなものは、もうとつくに潰してしまつてゐるべきだつたのです。今そのことを引き出すのをづべきですよ。
と、かうぢや。まことに尤もな話で、もうとつくに楽隠居でもして落ちついてゐるのがほんたうぢやて。
都会的の刺戟しげきでもなかつたら、生きることに疲れきつた私は、とつくにへたばつてゐたに違ひなかつた。
町の踊り場 (新字旧仮名) / 徳田秋声(著)
十分間ばかりも待つたが、一向車の来さうな気配けはひもなかつた。通りの店々は皆もうとつくに閉つて了つて、ほの暗い軒燈の光が、ぽつり/\間遠に往来を照らしてゐるのみで、人通りも殆どなかつた。
乳の匂ひ (新字旧仮名) / 加能作次郎(著)
思ひ出すと、樺太の鑵詰業者でも、見切りのいいもの等は、秋の蟹は割合に利益にならないとして、とつくに、今年の仕事を切りあげ、東京などへ、來年の發展もしくは契約の爲めに出かけてゐる筈だ。
泡鳴五部作:05 憑き物 (旧字旧仮名) / 岩野泡鳴(著)
おつぎは與吉よきちれてとつくにかへつてたのであつた。
(旧字旧仮名) / 長塚節(著)
彼はその日も、その次ぎの日も馬を走らせたが、行けども行けどもカニョーフのまちはなかつた。路は確かに間違ひなくその路で、もうとつくに見えなければならぬ筈のカニョーフのまちが見えなかつた。