桟道さんどう)” の例文
旧字:棧道
楊儀ようぎ姜維きょういの両将は、物見を放って、しばらく行軍を見合わせていた。道はすでに有名な桟道さんどう嶮岨けんそに近づいていたのである。
三国志:11 五丈原の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
滅多めったな穴へ這入はいるとまた腰きり水につかる所か、でなければ、例のさかさの桟道さんどうへ出そうで容易に踏み込めない。
坑夫 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
数多あまたの樹の枝やその他の材料をもって、臨時に大きな仮山を作り、前後に出入りの口を設け、内には桟道さんどう懸渡かけわたして、志願ある者をしてその中を通り抜けさせた。
海上の道 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
足裏を破りすねを傷つけ、危巌きがんを攀じ桟道さんどうを渡って、一月の後に彼はようやく目指す山顛さんてん辿たどりつく。
名人伝 (新字新仮名) / 中島敦(著)
湖畔亭から街道を五六町行った所に、山路やまじに向ってそれる細い杣道そまみちがあります。それを幾曲いくまがりして半里もたどると、何川の上流であるか、深い谷に出ます。谷に沿って危げな桟道さんどうが続きます。
湖畔亭事件 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
駒井能登守が水を飲んでいたものを見かけたのは、峠が下りになってから五六丁のところで、そこは俗に坊主沢ぼうずさわといって橋の桟道さんどうがいくつもかかっていて、下には清流が滾々こんこんと流れているところです。
飛退とびのくやうに、滝の下行く桟道さんどうの橋に退いた。
伯爵の釵 (新字旧仮名) / 泉鏡花(著)
いわゆる天下の嶮、しょく桟道さんどうをこえて、ここまで出てくるだけでも、軍馬は一応疲れる。孔明は、沔陽に着くと
三国志:11 五丈原の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
他の一はこのわずらいはないがその代り見下せば千仞せんじん云々うんぬんと形容すべき、桟道さんどうまたは岨路を行かねばならぬ。峠に由っては甲種と甲種、または乙種と乙種とを結び付けたのもある。
峠に関する二、三の考察 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
水は胸までくらい我慢するがこの梯子には、——せめて帰り路だけでも好いから、のがれたかったが、やっぱりちょうどその下へ出て来た。自分はしょく桟道さんどうと云う事を人から聞いて覚えていた。
坑夫 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
桟道さんどうけんで野心家の魏延ぎえん誅伐ちゅうばつした楊儀も、官をがれて、官嘉かんかに流され、そこで自殺してしまった。
三国志:12 篇外余録 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
五丈原以後——「孔明ハカリゴトノコシテ魏延ヲ斬ラシム」の桟道さんどう焼打ちのことからなお続いて、魏帝曹叡そうえいの栄華期と乱行らんぎょうぶりを描き、司馬父子の擡頭たいとうから、呉の推移、蜀破滅、そして遂に
三国志:12 篇外余録 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
竹童はこの深山にみょうだなと思いながら、なにごころなくながめまわしてくると、天斧てんぷ石門せきもん蜿々えんえんとながきさく、谷には桟橋さんばし駕籠渡かごわたし、話にきいたしょく桟道さんどうそのままなところなど、すべてはこれ
神州天馬侠 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
魏延は手勢数千をもって、桟道さんどうを焼き落し、南谷を隔てて
三国志:11 五丈原の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「蜀の桟道さんどう」と呼ばれている。
三国志:08 望蜀の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)