散佚さんいつ)” の例文
原本は四百二十巻の大作だそうですが、その大部分は散佚さんいつして、今伝わるものは五十巻、それでもなかなかの大著述というべきでしょう。
このコルレクションは保さんの五、六歳の時まで散佚さんいつせずにいたそうである。「江戸鑑」の箱があったなら、江戸図の箱もあっただろう。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
微力其任に堪へずと雖も、当代の人目を聳動しようどうしたる雄篇鉅作くさくは問ふを待たず、あまねく江湖に散佚さんいつせる万顆ばんくわ零玉れいぎよく細珠さいしゆを集め、一も遺漏ゐろう無からんことを期せり。
「鏡花全集」目録開口 (新字旧仮名) / 芥川竜之介(著)
枕山が維新以後の詩賦には散佚さんいつしたものがすくなくない。『梅坡詩鈔』の題詩の如きも遺稿には載せられていない。
下谷叢話 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
それも今は多く散佚さんいつして、明治のものさえ払底の姿、もちろん京伝時代の如き、戯文としての妙味はなくとも、明治初期以来の新世相を語る風俗資料として
明治世相百話 (新字新仮名) / 山本笑月(著)
薄い紙一枚のことであるから別にレコードを傷めることもなく、レコードの散佚さんいつも防げて、しかも必要の場合には一見してたちまち用を弁ずることが出来る。
晩年磐梨いわなし郡某社の巫女みこのもとに入夫にゅうふの如く入りこみて男子二人を挙げしが後長子ちょうし窃盗せっとう罪にて捕へられ次子もまた不肖の者にて元義の稿本抔こうほんなど散佚さんいつして尋ぬべからずといふ。
墨汁一滴 (新字旧仮名) / 正岡子規(著)
彼は国宝の散佚さんいつを慨し、翻然として悟って、而して逆上して書狂となったのである。
愛書癖 (新字新仮名) / 辰野隆(著)
絵図は既に散佚さんいつしてしまったものか、見当らないのは実に惜しいものである。
しかし、そうはいっても、一面では富貴の道は術ですから、巧みな者はよく富をあつめ、未熟な愚か者はいくらもっていても瓦を崩すよりもかんたんにこれをすっかり散佚さんいつしてしまうのです。
それを実隆が聞き込んで散佚さんいつを惜しみ、禁裏に奏上して、八百疋で全部御買上げを願うことにした。史料の散佚を拒ぐことに尽力した実隆の功績は、後世史家の永く感謝すべきところであろう。
三の散佚さんいつはあろうが、言うまでもなく、堂の内壁ないへきにめぐらしたやつの棚に満ちて、二代基衡もとひらのこの一切経いっさいきょう、一代清衡きよひら金銀泥一行きんぎんでいいちぎょうまぜがきの一切経、ならび判官贔屓ほうがんびいきの第一人者、三代秀衡ひでひら老雄の奉納した
七宝の柱 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
はた後年に散佚さんいつしたものかは明らかにし得ないが、その頃地質調査所の書架に、熊本県の部その他の数十冊が借り出して置いてあったのを見たこともあるから、他日横着な学者などの死んだ跡から
地名の研究 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
その他は皆写本で、徳富蘇峰さんの所蔵の『㦣語えいご』、富士川游さんの所蔵の『直舎ちょくしゃ伝記抄』およびすで散佚さんいつした諸書を除く外は、皆たもつさんが蔵している。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
しかし大正の今日さへ、帝国大学図書館の蔵書を平然と灰燼くわいじんに化せしめた、恬淡無欲なる我等の祖国は勿論蒹葭堂コレクシヨンをも無残なる散佚さんいつに任かせてしまつた。
僻見 (新字旧仮名) / 芥川竜之介(著)
イクバクモナクシテ都ニ入ル。坎坷かんか不遇。後ニ太政官だいじょうかんニ出仕シ、官ニアルコト十余年、明治庚寅こういん病ヲ以テほろブ。詩稿散佚さんいつシ流伝スルモノはなはまれナリ。余多方ニ捜羅そうらシ僅ニ数首ヲ得タリ。
下谷叢話 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
人の死を説いて、直ちにその非を挙げんは、後言しりうごとめくきらいはあるが、抽斎の蔵書をして散佚さんいつせしめた顛末てんまつを尋ぬるときは、豊芥子もまた幾分のせめを分たなくてはならない。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)