摂津国せっつのくに)” の例文
むかし、摂津国せっつのくに難波なにわというところに、夫婦ふうふものんでおりました。子供こども一人ひとりいものですから、住吉すみよし明神みょうじんさまに、おまいりをしては
一寸法師 (新字新仮名) / 楠山正雄(著)
先祖は細川高国の手に属して、強弓ごうきゅうの名を得た島村弾正貴則だんじょうたかのりである。享禄きょうろく四年に高国が摂津国せっつのくに尼崎あまがさきに敗れたとき、弾正は敵二人を両腋りょうわきはさんで海に飛び込んで死んだ。
阿部一族 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
近江おうみの中将入道蓮浄れんじょう俗名成正なりまさ法勝寺執行ほっしょうじのしゅぎょう俊寛僧都そうず山城守基兼やましろのかみもとかね式部大輔雅綱しきぶのたいふまさつな、平判官康頼、宗判官信房そうはんがんのぶふさ新平判官資行しんへいはんがんすけゆき摂津国せっつのくに源氏多田蔵人行綱ただのくらんどゆきつなといった連中で、他に北面の武士が多かった。
摂津国せっつのくに大坂の町では寄るとさわると噂である。
けれども摂津国せっつのくにまでると、大国主命おおくにぬしのみことめられて、おかがることができないので、しばらくはうみの上にんでいました。
赤い玉 (新字新仮名) / 楠山正雄(著)
それから関を経て、東海道を摂津国せっつのくに大阪に出て、ここに二十三日を費した。その間に松坂から便たよりがあって、紀州の定右衛門が伜の行末を心配して、気病きやみで亡くなったと云う事を聞いた。
護持院原の敵討 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
そして摂津国せっつのくに難波なにわから、おとうさんやおかあさんをせて、うちじゅうがみんなあつまって、たのしくの中をおくりました。
一寸法師 (新字新仮名) / 楠山正雄(著)
あるとき摂津国せっつのくに難波なにわまでおいでになりますと、見慣みなれないかみさまが、うみわたってこうからやってました。みこと
赤い玉 (新字新仮名) / 楠山正雄(著)
むかし、摂津国せっつのくに刀我野とがのというところに、一ぴき牡鹿おじかんでいました。この牡鹿おじかには二ひきなかのいい牝鹿めじかがあって、一ぴき牝鹿めじか摂津国せっつのくに夢野ゆめのんでいました。
夢占 (新字新仮名) / 楠山正雄(著)
むかし、摂津国せっつのくに阿倍野あべのというところに、阿倍あべ保名やすなというさむらいんでおりました。
葛の葉狐 (新字新仮名) / 楠山正雄(著)
おもって、家来けらいにいいつけて摂津国せっつのくにかたくおまもらせになりました。
赤い玉 (新字新仮名) / 楠山正雄(著)