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いわゆ
ふりがな文庫
“
所謂
(
いわゆ
)” の例文
所謂
(
いわゆ
)
る遊侠の世界(
即
(
すなわ
)
ち親分と称せられる人々から、
破落戸
(
ごろつき
)
と称せられる人々)——あらゆる方面に知己があり友人があった。
名古屋の小酒井不木氏
(新字新仮名)
/
国枝史郎
(著)
実際磯吉は
所謂
(
いわゆ
)
る「解らん男」で、大庭の
女連
(
おんなれん
)
は何となく
薄気味
(
うすきび
)
悪く思っていた。だからお徳までが磯には
憚
(
はばか
)
る風がある。
竹の木戸
(新字新仮名)
/
国木田独歩
(著)
はかなき点から見れば「永遠」とても
亦
(
また
)
はかないではないか。何れが是なのか、何れも是なのか、また何れも非であるか、
所謂
(
いわゆ
)
る白雲の「未在」か。
楞迦窟老大師の一年忌に当りて
(新字新仮名)
/
鈴木大拙
(著)
これ
所謂
(
いわゆ
)
る政学・法学に需用あるものにして、子弟の相率いてこの二学に赴くは、
蓋
(
けだ
)
しこの需用に応ぜんと欲するものなるのみ(謹聴々々、拍手、喝采)。
祝東京専門学校之開校
(新字新仮名)
/
小野梓
(著)
この綱は二本の繊維素で出来ている
所謂
(
いわゆ
)
る綱であり、この綱は捻じれたままの方向に捻じればますます強くなるだけだが、一たび逆に捻じれば直ちに断ち切れ
鵜飼
(新字新仮名)
/
横光利一
(著)
▼ もっと見る
主翁はひどく碁が好きであったが、それは
所謂
(
いわゆ
)
る
下手
(
へた
)
の
横好
(
よこず
)
きで、四
目
(
もく
)
も五目も置かなければならなかった。それでも三左衛門は
湯治
(
とうじ
)
の間の
隙潰
(
ひまつぶし
)
にその主翁を
対手
(
あいて
)
にしていた。
竈の中の顔
(新字新仮名)
/
田中貢太郎
(著)
その眼と眉の
間
(
あいだ
)
に一種形容の出来ぬ凄味を
帯
(
おび
)
ていて、
所謂
(
いわゆ
)
る殺気を含んでいると云うのであろう、その凄い怖い眼でジロリと睨まれた一瞬間の怖さ恐しさ、私は思わず気が遠くなって
画工と幽霊
(新字新仮名)
/
岡本綺堂
(著)
鼻は
所謂
(
いわゆ
)
る獅子鼻であった。唇がムックリ膨れ上っていた。二つながら強い意志の力の、表現だと云ってもよさそうであった。
銀三十枚
(新字新仮名)
/
国枝史郎
(著)
所謂
(
いわゆ
)
る富岡先生の暴力
益々
(
ますます
)
つのり、二六時中富岡氏の
顔出
(
かおだし
)
する時は全く無かったと言って
宜
(
よろ
)
しい位、恐らく夢の
中
(
うち
)
にも富岡先生は
荒
(
あば
)
れ廻っていただろうと思われる。
富岡先生
(新字新仮名)
/
国木田独歩
(著)
我邦
(
わがくに
)
学問の独立せざる久し。
王仁
(
わに
)
儒学を伝えてより以来、今日に至る
迄
(
ま
)
で
凡
(
およ
)
そ二千余年の間、未だ曾て
所謂
(
いわゆ
)
る独立の学問なるものありて我が子弟を教授せしを見ず(謹聴)。
祝東京専門学校之開校
(新字新仮名)
/
小野梓
(著)
併
(
しか
)
し老師は断えず
所謂
(
いわゆ
)
る新知識を吸収するに努められた。
基督
(
キリスト
)
教徒に対する反撃なども、今から見れば、見当違いの面もあるが、その頃はどこでも、それ以上には出られなかったのである。
洪川禅師のことども
(新字新仮名)
/
鈴木大拙
(著)
筆を投ずれば風を生じ百言
即座
(
たちどころ
)
に発するというのが
所謂
(
いわゆ
)
る馬琴の作風であって、推敲反覆の京伝から見れば奇蹟と云わなければならなかった。
戯作者
(新字新仮名)
/
国枝史郎
(著)
眺
(
なが
)
めて居ると
少年心
(
こどもごころ
)
にも
哀
(
かなし
)
いような
楽
(
たのし
)
いような、
所謂
(
いわゆ
)
る
春愁
(
しゅんしゅう
)
でしょう、そんな
心持
(
こころもち
)
になりました。
運命論者
(新字新仮名)
/
国木田独歩
(著)
併しこんな趣味がいつまでも続いて行くのがよくないのかも知れぬ、
所謂
(
いわゆ
)
る中古的骨董的趣味とでもいうべきもので、進化の歴史からは、こんな低徊主義は自ら亡びて行くのが本当かも知れぬ。
僧堂教育論
(新字新仮名)
/
鈴木大拙
(著)
所謂
(
いわゆ
)
る諸学の蘊奥を極むるの便利を
阻碍
(
そがい
)
するに至らん。
祝東京専門学校之開校
(新字新仮名)
/
小野梓
(著)
にもかかわらば尚今日、
所謂
(
いわゆ
)
る知識の高踏派、所謂る芸術の高踏派が、蠢動しているのは、何うしたものだろう。
小酒井不木氏スケッチ
(新字新仮名)
/
国枝史郎
(著)
サアこれからだ、
所謂
(
いわゆ
)
る額に汗するのはこれからだというんで
直
(
ただち
)
に着手したねエ。
牛肉と馬鈴薯
(新字新仮名)
/
国木田独歩
(著)
親が子供に対すると同じ情熱の気分が見える。宗演師は一個の禅僧として、意志強く、又世を浮雲の如く見て行く、
所謂
(
いわゆ
)
るお悟りの人のように思われもしたであろうが、その実、情の人であった。
釈宗演師を語る
(新字新仮名)
/
鈴木大拙
(著)
ところでちっとも不思議でない事には、
所謂
(
いわゆ
)
る実験室的作物の味が、多く加味されていればいる程、氏の作はいつも面白く、その
味
(
あじわ
)
いの薄い時は、面白くない作になって居ります。
探偵文壇鳥瞰
(新字新仮名)
/
国枝史郎
(著)
意外なのは
暫時
(
しばら
)
く
会
(
あわ
)
ぬ中に
全然
(
すっかり
)
元気が衰えたことである、元気が衰えたと云うよりか殆ど我が折れて了って貴所の
所謂
(
いわゆ
)
る富岡氏、極く世間並の物の能く
通暁
(
わかっ
)
た老人に
為
(
な
)
って了ったことである
富岡先生
(新字新仮名)
/
国木田独歩
(著)
恰度
(
ちょうど
)
新派の芝居なるものが、本当の人間をウツして来ずに、甘く低級に理想化された、侠芸者だの悪弁護士だの、屹度出世する苦学生だの、天女のような令嬢だのを、
所謂
(
いわゆ
)
る善玉悪玉式に
大衆物寸観
(新字新仮名)
/
国枝史郎
(著)
彼の講義
振
(
ぶり
)
は
鮮
(
あざや
)
で
所謂
(
いわゆ
)
る水際立っていた。二月
余
(
あまり
)
経った頃には塾生の数も八十人を越し、
咿唔
(
いご
)
の声道に響き行人の足を止める程であった。佐藤は
頗
(
すこぶ
)
る得意であった。従って講義に油が乗る。
国事犯の行方:―破獄の志士赤井景韶―
(新字新仮名)
/
国枝史郎
(著)
“所謂”の意味
《連体詞》
所 謂(しょい、いわゆる)
いわゆる。世間で一般的に言うところの。
(出典:Wiktionary)
所
常用漢字
小3
部首:⼾
8画
謂
漢検準1級
部首:⾔
16画
“所謂”で始まる語句
所謂因縁