嶮峻けんしゅん)” の例文
嶮峻けんしゅん高岳こうがくではないが、丘とよび、小山とよび、低山という程度の起伏の波が、春をいで、ようやく、木々にほのあかい芽をもっていた。
新書太閤記:10 第十分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
広東湾の白堊はくあの燈台に過去の燈は消えかけて、ハッピーバレーの嶮峻けんしゅんにかかった満月が年少の同志の死面を照りつけた。
地図に出てくる男女 (新字新仮名) / 吉行エイスケ(著)
永続的なものを築くには涙と血とで固むるのほかはないと知って、苦難を忍従し晴れやかなひたいをし、未来に通ずる嶮峻けんしゅんなる隘路あいろを進んで行きつつあった。
その大きさは五こくを盛るかめの如くで、これに蔵する蜂蜜はさぞやと察せられたが、何分にも嶮峻けんしゅんの所にあるので、往来の者はむなしく睨んで行き過ぎるばかりであった。
『紀伊国続風土記』によれば、牟婁むろ郡の村々には矢倉明神という小祠が多い。たいてい社殿はなく古木または岩を祀る。著者の説にはクラは方言山の嶮峻けんしゅんなる処を意味す。
地名の研究 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
とかく嶮峻けんしゅん隘路あいろを好んでたどるものと危ぶまれ、生まれ持った直情径行の気分はまた少なからず誤解の種をまいてついには有司にさえ疑惧ぎぐの眼を見はらしめるに至った兄は
茶の本:01 はしがき (新字新仮名) / 岡倉由三郎(著)
丁謂もこれに先だつこと一年か二年、明道年間に死んだのであるが、寂照が平坦へいたんな三十年ばかりの生活をした間に、謂は嶮峻けんしゅんな世路を歩んで、上ったり下ったりしたのであった。
連環記 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
ここ嶮峻けんしゅんなる絶壁にて、勾配こうばいの急なることあたかも一帯の壁に似たり、松杉を以て点綴てんてつせる山間の谷なれば、緑樹とこしえに陰をなして、草木が漆黒の色を呈するより、黒壁とは名附くるにて
妖僧記 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
が、嶮峻けんしゅん隘路あいろに立つものは拳石こいしにだもつまずいて直ぐ千仭せんじんの底にちる。人気が落ちて下り坂となった時だから、責むるに足りないいささかの過失でも取返しの付かない意外な致命傷となったのであろう。
美妙斎美妙 (新字新仮名) / 内田魯庵(著)
その坂路の嶮峻けんしゅんなることはなんとも形容のしようがございません。
チベット旅行記 (新字新仮名) / 河口慧海(著)
さして高くはないが、俗に“上り十八町”といわれ、胸突き坂の一方道と、嶮峻けんしゅんな絶壁など、個性きびしい山容だった。
私本太平記:04 帝獄帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
金華山きんかざんは登り二十余町、さのみ嶮峻けんしゅんな山ではない、むしろ美しい青い山である。しかも茫々たる大海のうちに屹立きつりつしているので、その眼界はすこぶるひろい、眺望雄大と云ってよい。
綺堂むかし語り (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
……しかし背後の山は嶮峻けんしゅんである。もうそれ以上は高く移せない所へまで、敵の旗は山ぎわに押し詰められていた。
三国志:09 図南の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
元より彼は、一ノ谷のうしろの嶮峻けんしゅんは覚悟していた。そこへ向う非常識も弁えていた。けれど彼は、敢えて、常識を無視して、非常識へ突進してきた。
源頼朝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
しかし山は嶮峻けんしゅんでなくそう高くなく、線のやわらかい所に、北陸や信州あたりの山国とちがう平和な明るさがある。
随筆 宮本武蔵 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
太子ヶ嶽はさして高い嶮峻けんしゅんな山ではない。かし、くぬぎ、けやき、もみ、はぜ、などにおおわれている雑木山であった。
新書太閤記:02 第二分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
きっと、彼が眼をやった前方には、夜気に煙っている疎林の中へ、嶮峻けんしゅんな鷲ヶ岳がすそをひいていた。
宮本武蔵:04 火の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
南安は、西は天水郡につらなり、北は安定郡に通じている嶮峻けんしゅんにあった。
三国志:11 五丈原の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「中国の弱兵には、この嶮峻けんしゅんさえ登ってこられまい」と、おごっていた。
三国志:10 出師の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
この嶮峻けんしゅん山路やまじ遠駆とおがけに、騎馬きばをえらべばおろかである。人間の足より難儀なんぎにきまっているのだ、そうかといって、徒歩かちなればおそらくわが早足はやあし燕作えんさくをうしろにする足のはないわけになる。
神州天馬侠 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
谷といい、山といっても、この地方にはさして嶮峻けんしゅんな所はない。
新書太閤記:08 第八分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)