大隅おおすみ)” の例文
筑前ちくぜん筑後ちくご肥前ひぜん肥後ひご豊前ぶぜん豊後ぶんご日向ひゅうが大隅おおすみ薩摩さつまの九ヵ国。それに壱岐いき対馬つしまが加わります。昔は「筑紫ちくししま」と呼びました。
手仕事の日本 (新字新仮名) / 柳宗悦(著)
宝永五年の夏のおわりごろ、大隅おおすみの国の屋久島やくしまから三里ばかりへだてた海の上に、目なれぬ船の大きいのが一隻うかんでいるのを、漁夫たちが見つけた。
地球図 (新字新仮名) / 太宰治(著)
彼方から来る大勢の衆は、みな越後のさむらい方です。そのなかに、黒川大隅おおすみ様もいらっしゃいます。大隅様はわたくしの御主人でした。昨日までわたくしを
上杉謙信 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
とラ行を忘れて来た男は悉皆すっかりア行で間に合わせる。斯う気がついて耳を澄ますと、口をいている乗客で舌の廻るのは極くすくない。大抵大隅おおすみ薩摩さつまの人らしい。
ぐうたら道中記 (新字新仮名) / 佐々木邦(著)
また薩摩さつま大隅おおすみでは、道路のつき当たりに「石敢当」と刻したる建て石がある。これは琉球にことに多く立てられておるが、シナより伝来せし魔よけ法である。
迷信と宗教 (新字新仮名) / 井上円了(著)
大隅おおすみの佐多とか土佐の室戸むろととかの、茂った御崎山みさきやまの林に群れてさえずりかわしていたものが、わずかばかり飛び越えるともうこのような国に来てしまうのである。
雪国の春 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
だが、今はもう退屈男にとっては、名もなき陪臣またざむらいの二人や三人、問題とするところでない。目ざす対手は、大隅おおすみ薩摩さつま日向ひうが三カ国の太守なる左近衛少将島津修理太夫さこんえしょうしょうしまずしゅりだいふです。
此所ハもお大隅おおすみの国ニて和気清麻呂がいおりおむすびし所、蔭見の滝インケンノタキ其滝の布ハ五十間も落て、中程にハ少しもさわりなし。実此世の外かとおもわれ候ほどのめづらしき所ナリ。
命はそれからすぐに、今の日向ひゅうが大隅おおすみ薩摩さつまの地方へ向かっておくだりになりました。そのとき命は、まだおぐしをおひたいにおいになっている、ただほんの一少年でいらっしゃいました。
古事記物語 (新字新仮名) / 鈴木三重吉(著)
清麻呂は官をとかれ、別部穢麻呂わけべのきたなまろと改められて、大隅おおすみ国へ流された。
道鏡 (新字旧仮名) / 坂口安吾(著)
その当時の大阪は摂津大掾せっつだいじょうがまだ越路こしじの名で旭日あさひの登るような勢いであり、そのほかに弥津やつ太夫、大隅おおすみ太夫、呂太夫の錚々そうそうたるがあり、女義には東猿とうえん末虎すえとら長広ながひろ照玉てるぎょくと堂々と立者たてものそろっていた。
豊竹呂昇 (新字新仮名) / 長谷川時雨(著)
大隅おおすみさん、大隅さん」
大菩薩峠:19 小名路の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
彼の父大隅おおすみと八蔵とは、かつて同じ役目にいたこともあり、幼少から八蔵の顔はよく見知っていたのである。
新書太閤記:05 第五分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
しかし更になお鹿児島県のものとして特筆されてよいのは「大島紬おおしまつむぎ」であります。奄美大島あまみおおしまは今は大隅おおすみの国に属していますが、元来は沖縄の一部でありました。
手仕事の日本 (新字新仮名) / 柳宗悦(著)
ところが九州では大隅おおすみ日向ひゅうがの海岸で、里のはずれのアコウの木の高いこずえなどに、腰をおろし悠々と啼いていたものは、いずれもよく聴いていると五音であった。
大隅おおすみ忠太郎君は、私と大学が同期で、けれども私のように不名誉な落第などはせずに、さっさと卒業して、東京の或る雑誌社に勤めた。人間には、いろいろのくせがある。
佳日 (新字新仮名) / 太宰治(著)
「これこれ、それは自慢顔に無用なおしゃべりは慎めといわれたのだろう。大隅おおすみ殿(嘉隆)に叱られたらわしが詫びてやる。どういうことだ、語って聞かせい」
新書太閤記:06 第六分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
薩摩の隣りは大隅おおすみの国であります。皆ここに帖佐ちょうさという窯場があって、苗代川と兄弟の間柄でした。さいわいその歴史が今は竜門司りゅうもんじというところに伝わって、よい仕事が見られます。
手仕事の日本 (新字新仮名) / 柳宗悦(著)
羽後の神宮寺町の附近に細く高い二坐の岩山が孤立するのを、男ツクシ山・女ツクシ山という。大隅おおすみ加治木かじきの有名な天ノシ山とよく似ている。『月の出羽路』には突杙の字を宛てている。
地名の研究 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
かれは今から七年ぜんに、大隅おおすみの海辺に漂着し、江戸おもてへ護送されて吟味をうけたが、お蝶の父の今井二官のように、信仰をすててころばないところから、この終身牢に監禁されている。
江戸三国志 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
また田畠にも一つ一つに地名があったという一例をいうと、薩摩さつま大隅おおすみは有名な煙草の産地であるが、上等の煙草の銘はこれを作る畑の地名であって、ほかの畑では同品ができぬことを示している。
地名の研究 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
「ひとまず退け!」と退いたのもまたなおまずかった。敵の仁木義長、千葉大隅おおすみらの兵に追い打ちをかけられて、みるまに阿蘇惟成これなりは負傷し、以下、数百の死傷をここの退路に出してしまった。
私本太平記:11 筑紫帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
大隅おおすみ姶良あいら郡牧園村大字下宿窪田字コラ谷
地名の研究 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
「が、先導せんどうには少弐頼尚よりひさ、大友、島津、大隅おおすみらも加勢のこと」
私本太平記:11 筑紫帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
大隅おおすみ姶良あいら郡牧園村大字万膳字斗星田
木戸の者、木戸の者っ。たったいま敵国の使臣斎藤下野、黒川大隅おおすみ、その余の者が、御城下の使館から逃亡いたした。——よもや通しはいたすまいな。これへ来たら、からるのだ。汝らも物の具とって、ここを
上杉謙信 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
石川大隅おおすみおいで、典型的な三河武士である。
新書太閤記:05 第五分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)