城砦じょうさい)” の例文
搦手からめては紀伊、葛城かつらぎ山脈などの山波をようし、いたるところの前哨陣地から金剛の山ふところまで、数十の城砦じょうさいを配していたことになる。
私本太平記:06 八荒帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
たとえば、城砦じょうさいの姿をしてるヴィニュマル山(訳者注 ピレーネー山脈の高峰)は、僕にとってはなおキベーレ神の帽子なんだ。
もし強いて細かく説明するならば、奥羽でタテというのは低地に臨んだ丘陵の端で、通例は昔武人が城砦じょうさいを構えていたと伝えられる場処である。
地名の研究 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
ちょうど黒死館の城砦じょうさいめいた陰鬱な建物に、僕はそういう、非道徳的な——むしろ悪魔的な性能を、すこぶる豊富に認めることが出来るのだよ。
黒死館殺人事件 (新字新仮名) / 小栗虫太郎(著)
ずっと昔、そこになにがし氏の城砦じょうさいがあったといわれ、現在でも頂上に五段歩ほどの平地と、空濠からぼりの跡や、石畳に使ったらしい石などが残っていた。
月の松山 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
さかずきに触れなば思い起せよ、かつて、そは、King Hiero のうたげにて、森蔭深き城砦じょうさいの、いと古びたる円卓子に、将士あまた招かれにし——私は
ゼーロン (新字新仮名) / 牧野信一(著)
空気を占領し、自然原素を従え、自然の最後の城砦じょうさいを打ち破り、空間を辟易へきえきさせ、死を辟易させるがいい……。
宮殿・楼閣・城砦じょうさい・公堂・会館の巍々ぎぎたるも、これをもって国民とはなさざるなり。けだし国民なるものは、いかなる国においても茅屋のうちに住するものなり。
将来の日本:04 将来の日本 (新字新仮名) / 徳富蘇峰(著)
後にナポレオン三世になったルイ・ナポレオンその人で、その頃はハムの城砦じょうさいに囚われておったのだ。
城砦じょうさいの模型、軍船の模型、洋刀の模型、背嚢はいのうの模型、馬具の模型、測量器、靴や軍帽や喇叭ラッパや軍鼓や、洋式軍服や携帯テントや望遠鏡というようなものが、整然として置かれてあり
娘煙術師 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
それは七月革命のときのこと、あの世にもかがやかしい勝利の日の夕暮だったのです。一軒いっけん一軒の家が城砦じょうさいとなり、一つ一つの窓が堡塁ほうるいとなっていました。民衆はチュイルリー宮へ向って突進とっしんしました。
で、大野木山の関門や、そこらの城砦じょうさいには、藤吉郎の手勢を残して、信長の本軍は、しゃ二無二、敵方の本城地へ肉薄して来たものだった。
新書太閤記:04 第四分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
がついに消えうせてしまって、九つの塔を持った陰惨な牢獄ろうごく城砦じょうさいの跡に立った、煙筒のついた大きなストーブみたいな記念碑を、平和にそびえさした。
花々しい軍旗を押し立てて労働階級を率い、有産階級の城砦じょうさいを攻撃せしむるにいたった、それらの思想は、有産階級の夢想者らの頭脳から出て来たものだった。
「合戦にのぞんでこの橋ひとつが要害とは、さても岡崎は攻め易うございますな」「…………」「城砦じょうさい壕塁ごうるいはいくさのしのぎで、攻防のかなめは人にあると存じますが、……しかし、 ...
薯粥 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
ハバの下の居住が単なる自然の地形からでも、なお園圃えんぽ農業の拡張によって、労力の利用を進めることができる。まして城砦じょうさいの保護があったとすれば、末々繁昌するのは当然であると言ってよい。
地名の研究 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
けれどその後、三河、遠江とおとうみのうちにあった武田氏所属の城砦じょうさい十何ヵ所というものを、毎月のように、一城一城攻め取って行った。
新書太閤記:05 第五分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
今から二十年前までは、バスティーユの広場の南東のすみ、監獄の城砦じょうさいの昔のほりに通ぜられた掘り割りにある停船場の近くに、一つの不思議な記念物が残っていた。
すでに首尾よく黄忠や張著を救いだして、わが城砦じょうさいへ帰っていた趙雲は、互いの無事をよろこび、きょうの戦捷せんしょうを賀して
三国志:09 図南の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
反乱はパリーの中央をもって、錯雑し曲がりくねった巨大な一種の城砦じょうさいとなしていた。
祖父谷おじや、平井山、松尾の三山のふところになっている。城砦じょうさいの規模は小さいが天嶮てんけんである。
新書太閤記:04 第四分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
それは一つの城砦じょうさいであったが、今はもう一つの農家にすぎなくなっている。ウーゴモン(Hougomont)は、古代学者にとってはむしろユゴモン(Hugomons)というのである。
一方、成政も、やっ気になって、国境のかためを厳にし、要地要地に、城砦じょうさいを増した。
新書太閤記:11 第十一分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
彼がまだ洲股すのまたの城にいて、ようやく一個の城砦じょうさいと狭い領土とをはじめて持ったとき、早くもこの若き偉材いざいを味方に迎えんとして、半兵衛重治の隠棲いんせいしていた栗原山の草庵へ、何十度となく
黒田如水 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
瓜生保うりゅうたもつは戦死し、義貞の子義顕よしあきも、尊良たかなが親王も、大勢の味方と共に自刃するなど、いかに苛烈な抗戦であったかは、あとになって、城砦じょうさいに入ってみると、死馬の骨が山とつんであったのでも分った。
私本太平記:13 黒白帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)