さきの)” の例文
其方そのほう塙江漢はなわこうかんとやらいう老いぼれの無役者むやくものに加担いたして、畏れ多くも、さきの黄門龍山公のご隠居所をうかがいに来た犬であろう」
牢獄の花嫁 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
斯くて師は町奉行所に至りしに当時の奉行池田播磨守召出してなんじは水戸さきの中納言殿より月扶持を贈らるゝ由、彼の君の事を憂ひ申すやいかにと問ふ。
下谷叢話 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
十日の午後、〈女子挺身隊第一号〉……さきの関白総理大臣ドオショオ閣下の“みっともないお嬢さん”の一の乾分、桜会の咲子さんが厳粛な顔でやってきた。
だいこん (新字新仮名) / 久生十蘭(著)
西四条のさきの斎宮まだみこにものし給ひし時心ざしありて思ふこと侍りける間に、斎宮に走り給ひにければ、その明くるあしたさかきの枝につけてさしおかせ侍りける
少将滋幹の母 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
それよりもっとえらい人物があったのかも知れないが、アンポンタンには見上げるような高い石碑に、××院殿従五位下さきの朝散太夫なんとかのなんのなんとかと
右大臣家の六の君は二月に尚侍ないしのかみになった。院の崩御によってさきの尚侍が尼になったからである。
源氏物語:10 榊 (新字新仮名) / 紫式部(著)
将門の事とはおのづから別途に属するので、将門の方は私闘——即ち常陸大掾ひたちだいじよう国香やさきの常陸大掾源護みなもとのまもる一族と闘つたことから引つゞいて、つひに天慶二年に至つて始めて私闘から乱賊に変じたのである。
平将門 (新字旧仮名) / 幸田露伴(著)
この夕刻、上皇はさきの右大将宗盛を御前によばれた。
さきの「時代精神」
法皇の近臣三十余名の官職をぎとり、さきの関白基房をはじめ、藤大納言実国とうだいなごんさねくに按察あぜち大納言父子おやこなど、次々に都から追い出して、遠国へ流してしまった。
源頼朝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
さきの播磨守入道が大事な娘を住ませてある家はたいしたものでございます。
源氏物語:05 若紫 (新字新仮名) / 紫式部(著)
然る間にさきの下総国介平良兼、数千の兵を起し、将門を襲ひ攻む。
平将門 (新字旧仮名) / 幸田露伴(著)
さきの関白うじ長者ちょうじゃといういかめしい身分などをどこにも見せず、ただ余技の書道において聞えている近衛三藐院このえさんみゃくいんとして
宮本武蔵:05 風の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
義仲が、さきの関白基房の姫を取って、聟に押し成ったという、盛衰記や平語の記事には、否定説がつよい。
随筆 新平家 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
天慶てんぎやうの純友、康和の義親、平治の信頼、此等は猛き心も奢れることも、皆とりどりにこそありしかども、まぢかくは六波羅の入道、さきの太政大臣平朝臣清盛公と申しし人の有様
啓蒙の師事をうけたさきの法山の住、愚堂和尚、べつの名を東寔とうしょくともいう禅師だった。
宮本武蔵:08 円明の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
かんがん様とは、さきの大納言の子烏丸参議光広のしのび名。いつものお連れというのは、おおかた徳大寺実久さねひさ、花山院忠長、大炊御門おおいみかど頼国、飛鳥井雅賢あすかいまさかたなどというようなところの顔ぶれであろう。
宮本武蔵:05 風の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
しかし、そこの含月荘がんげつそうといえば、さきの黄門龍山公の隠遁地いんとんちではないか。
牢獄の花嫁 (新字新仮名) / 吉川英治(著)