たて)” の例文
たての山に行って見る。道は広いが、きのうの山よりは急で、少しぬかるので一寸した平地に出るまでには、息がきれて苦しかった。
「あれはいまの玄蕃げんばの姉に当っている、茂庭家の娘だ、おれは松山のたてで、まだ少女だったあれを見た、顔だちの美しい賢い娘だった」
厨川くりやがわしゃくに近き家なり。土淵村の安倍家の四五町北、小烏瀬川こがらせがわ河隈かわくまたての址あり。八幡沢はちまんざたてという。八幡太郎が陣屋というものこれなり。
遠野物語 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
とすぐにかみをつけました。これはいくさ場所ばしょがちょうど衣川ころもがわのそばの「ころもたて」というところでしたから、義家よしいえ貞任さだとう
八幡太郎 (新字新仮名) / 楠山正雄(著)
「十五日。雪。文礼子ぶんれいし御用にて新城宿より爰元こゝもと通行。」一戸の記に拠れば、武揚等の兵がたてさいを陥れた日である。
伊沢蘭軒 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
二百年来寝ながら食ったる御恩を報ずる時節はここだぞ、万石以上の四十八たて、槍先揃えて中国征伐一手に引受け、奮発しなさい、チャカポコ、チャカポコ
大菩薩峠:24 流転の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
もっとも、これは西木戸太郎、たて次郎が本当だとも云う。太平記にも南部太郎、伊達次郎などと云う名が見えるが、これもイダテ次郎と読むのが本当かも知れない。
綺堂むかし語り (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
*テーベー城に、エーイチオーン幼き我をたての中、 480
イーリアス:03 イーリアス (旧字旧仮名) / ホーマー(著)
たて!」
老中の眼鏡 (新字新仮名) / 佐々木味津三(著)
「わたくし致しますわ」と律は云った、「たてではこんなことはできませんけれど、ときには着替えのお世話くらい致しとうございますわ」
処々ところどころたてぬしの伝記、家々いえいえの盛衰、昔よりこのごうおこなわれし歌の数々を始めとして、深山の伝説またはその奥に住める人々の物語など、この老人最もよく知れり。
遠野物語 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
面白いもので一杯にはなっているけれども、彼の一番お気に入りなのは、元二人の姉達がいた時分春になるとは松ぼっくりを拾いに来たことのあるたての山である。
禰宜様宮田 (新字新仮名) / 宮本百合子(著)
たて!」
老中の眼鏡 (新字新仮名) / 佐々木味津三(著)
「御評定の裁決によっては、一門一家諸たてを合わせて、八千余に及ぶ人数が郷土を追われ家を失い、生きる方途に迷わなければなりません」
処々のたての主の伝記、家々の盛衰、昔よりこの郷に行なはれし歌の数々を始めとして、深山の伝説またはその奥に住める人々の物語など、この老人最もよく知れり。
遠野物語 (新字旧仮名) / 柳田国男(著)
里見十左衛門はすでに江戸から到着しておりましたが、奥山どのが吉岡のたてへまいられたので、戻って来るまで会議が延びていたところでした。
一一二 ダンノハナは昔たてのありし時代に囚人を斬りし場所なるべしといふ。地形は山口のも土淵飯豊のもほぼ同様にて、村境の岡の上なり。仙台にもこの地名あり。
遠野物語 (新字旧仮名) / 柳田国男(著)
彼はまえの日にこのたてへ着いたのだが、持病があるのと旅の疲れとで、着くとすぐ寝所で躯を休め、いま初めて、隠居所へ挨拶に来たのであった。
一一二 ダンノハナは昔たてのありし時代に囚人をりし場所なるべしという。地形は山口のも土淵飯豊のもほぼ同様にて、村境の岡の上なり。仙台にもこの地名あり。
遠野物語 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
七十郎は石巻に三日いて、それから遠田郡北村の、自分の生家にまわり、七日ばかり滞在したのち、小野のたてへ帰った。
殿とのたてさまの起原
名字の話 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
矢崎舎人は、上田の妻子を送ることを命ぜられ、かちの者二名、足軽三名と共に、陸前のくに栗原郡の岩ヶ崎にある、古内家のたてに向かって江戸を立った。
そこは砦山とりでやまの中腹で、東に面し、松林にかこまれていて、向うに船岡の町と、原田家のたてのある丘が眺められた。
互いになにか思いふけっているようだったが、やがて、甲斐は炉の火に焚木たきぎをくべながら「夜になると道が難渋だから、いまのうちたてまで帰ってはどうか」
「殿さまを覘ってもたての衆の眼がきびしいだで、思うように動きがとれねえ、それで小屋へ来ては暴れるです」
「なるべくまいるつもりでいるが、所労がぬけないようだったら、一ノ関のたてへ参上するといってくれ」
秋八月の朝、まだ明けたばかりで、船岡のたては霧に包まれていた。