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路程
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みちのり
ふりがな文庫
“
路程
(
みちのり
)” の例文
○こゝに我が
魚沼郡
(
うをぬまごほり
)
藪上
(
やぶかみ
)
の庄の村より
農夫
(
のうふ
)
一人
柏崎
(
かしはざき
)
の
駅
(
えき
)
にいたる、此
路程
(
みちのり
)
五里
計
(
ばかり
)
なり。途中にて一人の
苧纑商人
(
をがせあきびと
)
に
遇
(
あ
)
ひ、
路伴
(
みちづれ
)
になりて
往
(
ゆき
)
けり。
北越雪譜:06 北越雪譜二編
(新字旧仮名)
/
鈴木牧之
、
山東京山
(著)
もちろんセラの大寺から
僅
(
わず
)
かに一里半の
路程
(
みちのり
)
ですから、三日の朝早く出て来れば間に合います。レブンからは三里位これもその日で間に合う。
チベット旅行記
(新字新仮名)
/
河口慧海
(著)
今宵
(
こよい
)
は大宮に仮寝の夢を結ばんとおもえるに、
路程
(
みちのり
)
はなお近からず、
天
(
そら
)
は雨降らんとし、足は疲れたれば、すすむるを幸に金沢橋の
袂
(
たもと
)
より車に乗る。
知々夫紀行
(新字新仮名)
/
幸田露伴
(著)
今もむかしも川崎の大師は二十一日が縁日で、殊に
正五九
(
しょうごく
)
の
三月
(
みつき
)
は参詣人が多い。江戸から少しく
路程
(
みちのり
)
は離れているが、
足弱
(
あしよわ
)
は
高輪
(
たかなわ
)
あたりから
駕籠
(
かご
)
に乗ってゆく。
鷲
(新字新仮名)
/
岡本綺堂
(著)
爰
(
こゝ
)
に
長門國
(
ながとのくに
)
阿武郡
(
あふのごほり
)
萩
(
はぎ
)
は江戸より
路程
(
みちのり
)
二百七十里三十六萬五千
石
(
ごく
)
毛利家の城下にて
殊
(
こと
)
に
賑
(
にぎ
)
はしき土地なり
其傍
(
そのかたは
)
らに
淵瀬
(
ふちせ
)
といふ處あり
昔
(
むかし
)
此處
(
このところ
)
に
萩
(
はぎ
)
の長者といふありしが
幾世
(
いくよ
)
を
大岡政談
(旧字旧仮名)
/
作者不詳
(著)
▼ もっと見る
日は春日山の
巓
(
いただき
)
よりのぼりて
粟
(
あわ
)
ヶ崎の沖に
入
(
い
)
る。海は西の
方
(
かた
)
に
路程
(
みちのり
)
一里半隔りたり。山は近く、二階なる東の窓に、かの木戸の際なる青楓の繁りたるに
蔽
(
おお
)
われて、峰の松のみ見えたり。
照葉狂言
(新字新仮名)
/
泉鏡花
(著)
平時ならば六七時間で来られそうな
路程
(
みちのり
)
に十一時間も
要
(
かか
)
った。彼は汽車の窓を通して暗い空に映る無数の
燈火
(
ともしび
)
を望んだ。そこが仏蘭西政府と共に日本の大使館までも移って来ているボルドオであった。
新生
(新字新仮名)
/
島崎藤村
(著)
○こゝに我が
魚沼郡
(
うをぬまごほり
)
藪上
(
やぶかみ
)
の庄の村より
農夫
(
のうふ
)
一人
柏崎
(
かしはざき
)
の
駅
(
えき
)
にいたる、此
路程
(
みちのり
)
五里
計
(
ばかり
)
なり。途中にて一人の
苧纑商人
(
をがせあきびと
)
に
遇
(
あ
)
ひ、
路伴
(
みちづれ
)
になりて
往
(
ゆき
)
けり。
北越雪譜:03 北越雪譜初編
(新字旧仮名)
/
鈴木牧之
、
山東京山
(著)
これからもうパーリーという関所までは大方五、六日の
路程
(
みちのり
)
しかないですが、
真直
(
まっすぐ
)
にパーリーへ行くよりは私はどうも
外
(
ほか
)
の道を通ってお
出
(
い
)
でになる方が得策だろうと思う。
チベット旅行記
(新字新仮名)
/
河口慧海
(著)
近いといっても相当の
路程
(
みちのり
)
があるので、庄兵衛は日の暮れるのを待ちかねるように出てゆく。
青蛙堂鬼談
(新字新仮名)
/
岡本綺堂
(著)
ゲンパラは海面を抜くこと一万四千九百
尺
(
呎
)
にして、ラサは一万二千
尺
(
呎
)
弱、ラサよりほとんど三千
尺
(
呎
)
の高山でその
路程
(
みちのり
)
は四十八
哩
(
マイル
)
、直径およそ三十五哩、日本の里数にして十四、五里位なものです。
チベット旅行記
(新字新仮名)
/
河口慧海
(著)
“路程”の意味
《名詞》
路 程(ろてい)
目的地までの距離。
(出典:Wiktionary)
路
常用漢字
小3
部首:⾜
13画
程
常用漢字
小5
部首:⽲
12画
“路”で始まる語句
路
路傍
路次
路地
路端
路易
路銀
路用
路々
路地口