相生町あいおいちょう)” の例文
それでも僕は夜になると、ナショナル・リイダアや日本外史をかかえ、せっせと相生町あいおいちょう二丁目の「お師匠さん」の家へ通って行った。
追憶 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
間もなく相生町あいおいちょうの二階で半蔵が送るついの晩も来た。出発の前日には十一屋の方へ移って他の庄屋とも一緒になる約束であったからで。
夜明け前:02 第一部下 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
妙了の最も近い親戚は、本所相生町あいおいちょう石灰屋しっくいやをしている弟である。しかし弟は渋江氏の江戸を去るに当って、姉を引き取ることを拒んだ。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
顎十郎はなにを考えたか、ツイと金兵衛の門口からはなれると一ノ橋をわたって両国のほうへ引っかえし、相生町あいおいちょうの『はなや』という川魚かわうお料理。
顎十郎捕物帳:13 遠島船 (新字新仮名) / 久生十蘭(著)
あの辺が相生町あいおいちょうというのだから、その相生町のかどを真直ぐに向うへ行ってごらん、小笠原様のお邸がある、そのお邸の横の方が長者町だからね
大菩薩峠:02 鈴鹿山の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
白金町しろがねちょうだからしろがね小町こまちとか、相生町あいおいちょう相生小町あいおいこまちなどというのは、聞く耳もいいが、おはぐろ溝小町どぶこまち本所割下水小町ほんじょわりげすいこまちなんてのは感心しません。
丹下左膳:02 こけ猿の巻 (新字新仮名) / 林不忘(著)
本所の相生町あいおいちょうに店を持って、米屋五兵衛と名を変え、吉良の動静をさぐるために、おたがいに今日まで、心をくだき合って来た友達の中の友達だった。
新編忠臣蔵 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
円朝は生涯に百怪談を作る計画があって、頻りに怪談の材料を蒐集していると、その親友の画家柴田是真ぜしん翁から本所相生町あいおいちょう二丁目の炭屋の怪談を聞かされた。
寄席と芝居と (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
さて申上げまするお話は、鹽原多助一代記と申しまして、本所ほんじょ相生町あいおいちょう二丁目で薪炭を商い、天保の頃まで伝わり、大分だいぶ盛んで、地面二十四ヶ所も所持して居りました。
塩原多助一代記 (新字新仮名) / 三遊亭円朝(著)
当時東京市中の私窩子しかしたずね歩むに、本所立川の入口相生町あいおいちょうの埋立地に二階建の家五、六軒ありて夜は公然と御神燈をかかげてチヨイトチヨイトと客を呼びゐたり。
桑中喜語 (新字旧仮名) / 永井荷風(著)
何方どちらも大した腕ではなく、どちらも命が惜しくてならなかったのですが、妙な意地で両立し難い羽目に陥り、本所相生町あいおいちょうの友人の宅で落合おちあった帰り、何方どちらから誘うともなく
私は本町の裏手から停車場と共に開けた相生町あいおいちょうの道路を横ぎり、古い士族屋敷の残った袋町ふくろまちを通りぬけて、田圃側たんぼわきの細道へ出た。
千曲川のスケッチ (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
本所の相生町あいおいちょう箱惣はこそうなんぞがそれでございますからな、首を刺されて両国橋へさらされて、やっぱりこの通りの張札をされたんでございますからな
勝久は相生町あいおいちょうの家で長唄を教えていて、山田脩はその家から府庁電信局に通勤していた。そこへゆたかが開拓使の職を辞して札幌から帰ったのが八月十日である。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
加藤清正かとうきよまさ相生町あいおいちょう二丁目の横町に住んでいた。と言ってももちろん鎧武者よろいむしゃではない。ごく小さい桶屋おけやだった。しかし主人は標札によれば、加藤清正に違いなかった。
追憶 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
『伜沢右衛門も、折角、お招きをうけましたなれど、不破数右衛門と寺坂吉右衛門の二人を伴い、先に相生町あいおいちょうの前原の宅のほうへ行きおりました故、失礼をゆるされい』
新編忠臣蔵 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
本所相生町あいおいちょう裏店うらだなに住む平吉は、物に追われるように息を切って駈けて来た。かれは両国の橋番の小屋へ駈け込んで、かねて見識りしの橋番のおやじを呼んで、水を一杯くれと言った。
放し鰻 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
川岸かしっぷちを相生町あいおいちょうの方へ少し行くと、物蔭から不意にガラッ八が飛出します。
やがて友之助と立花屋の主人あるじ召捕めしとって相生町あいおいちょうの名主方へ引立ひきたてゝまいりました。玄関にはかね待受まちうけて居りました小林藤十郎、左右に手先をはべらせ、友之助を駕籠から引出して敷台に打倒うちたお
後の業平文治 (新字新仮名) / 三遊亭円朝(著)
その一つは、申すまでもなく、本所の相生町あいおいちょうの老女の家で行われた幼な馴染なじみとの間の生別死別の悲劇がそれでありました。
大菩薩峠:36 新月の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
両国をさして帰って行く平助を送りながら、半蔵は一緒に相生町あいおいちょうの家を出た。不自由な旅の身で、半蔵には郷里の方から届く手紙のことが気にかかっていた。
夜明け前:02 第一部下 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
宿は本所相生町あいおいちょうの徳蔵という魚屋さかなやで、ふだんから至極実体じっていな人間でございます。
半七捕物帳:13 弁天娘 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
相生町あいおいちょうのお華客とくいで、三百八十両、小判で受取ったのは巳刻よつ少しまえでした。
矢島周禎の一族もまたこの年に東京にうつった。周禎は霊岸島れいがんじまに住んで医を業とし、優の前妻鉄は本所相生町あいおいちょう二つ目橋どおり玩具店おもちゃみせを開いた。周禎はもと眼科なので、五百は目の治療をこの人に頼んだ。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
『まいど、有難うぞんじます。二つ目の相生町あいおいちょうの米屋で——』
新編忠臣蔵 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
相生町あいおいちょう碁所ごどころへでも出かけるような装いに、逆薤ぎゃくらっきょうかおを振り立て、大気取りに気取って正面の席につきました。
大菩薩峠:30 畜生谷の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
宅で本所ほんじょ相生町あいおいちょうの方におりました時分に、あの人は江戸の道中奉行のお呼び出しで国から出てまいりまして、しばらく宅に置いてくれと申されたこともございました。
夜明け前:04 第二部下 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
「深川の柘榴伊勢屋の旦那に引かされて、相生町あいおいちょう一丁目に家を持っていますよ」
半七捕物帳:67 薄雲の碁盤 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
「親分も知っていなさるだろう、神田相生町あいおいちょうの、河内屋又兵衛——」
銭形平次捕物控:050 碁敵 (新字新仮名) / 野村胡堂(著)
これが不思議な縁で米友は、その翌日から本所の相生町あいおいちょうの箱屋惣兵衛一家の留守番になってしまいました。それで鐘撞堂かねつきどうの相模屋から気軽くそこへ移ってしまいました。
大菩薩峠:10 市中騒動の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
と言って相生町あいおいちょうの家の亭主ていしゅが深川の米問屋へ出かける前に、よく半蔵を見に来る。
夜明け前:02 第一部下 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
好んでお松が、人の師となりたがるわけではないが、お松は日頃の心がけもあり、ことに相生町あいおいちょうの御老女の家にある時、念を入れて字を習いましたものですから、なかなか見事な筆跡です。
大菩薩峠:23 他生の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
橋の真中から相生町あいおいちょうの方へ歩き出すと
大菩薩峠:10 市中騒動の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)