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當年
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たうねん
一向に
辨へずして感應院
後住の儀は存じも
寄ず爰にされば
一の御願ひあり何卒
當年より五ヶ年の間諸國修行致し
諸寺諸山の
靈場を
踏難行苦行を
外の
事でもござりませんが、
手前は
當年はじめての
御奉公にござりますが、
承りますれば、
大殿樣御誕生の
御祝儀の
晩、お
客樣がお
立歸りに
成りますると
仕出たり
光陰矢の如く
享保も七年とは成ぬ吉之助も
當年は十八歳と成けり夫婦
相談して當年の内には吉之助へも
云聞せ
良辰を
まさか
自動車で、ドライブして、
搜して
囘るほどの
金はなし……
縁の
切れめか、よし
原すゞめ、
當分せかれたと
斷念めて
居ると、
當年五月——
房州へ
行つた
以前である。
此四郎右衞門は
當年六十五歳の
老人なり夫を是より三十五年の
間殘金の
勘定に
懸らば
是何歳に至るぞや
大岡殿の
仁心思ふべし
外の
事でもござりませんが、
手前は
當年はじめての
御奉公にござりますが、
承りますれば、
大殿樣御誕生のお
祝儀の
晩、お
客樣が
御立歸りに
成りますると、
手前ども
一統にも