“申子(しんし)” の例文
秦王(しんわう)後(のち)に之(これ)を悔(く)い、人(ひと)をして之(これ)を赦(ゆる)さしむれば、非(ひ)已(すで)に死(し)せり。申子(しんし)・韓子(かんし)は皆(みな)書(しよ)を著(あら)はし後世(こうせい)に傳(つた)ふ、(一二一)學者(がくしや)多(おほ)く有(あ)り。
申子(しんし)は(一二五)卑卑(ひひ)、(一二六)之(これ)を名實(めいじつ)に施(ほどこ)す。韓子(かんし)は(一二七)繩墨(じようぼく)を引(ひ)いて事情(じじやう)に切(せつ)に、是非(ぜひ)を明(あきら)かにす、其(そ)れ極(きは)めて(一二八)慘礉(さんかく)にして恩(おん)少(すくな)し。皆(みな)道徳(だうとく)の意(い)に原(もと)づく。
昭矦(せうこう)用(もつ)て相(しやう)と爲(な)し、内(うち)、政教(せいけう)を修(をさ)め、外(ほか)、諸矦(しよこう)に應(おう)ずること十五年(ねん)、申子(しんし)の身(み)を終(をは)るまで、國(くに)治(をさ)まり兵(へい)彊(つよ)く、韓(かん)を侵(をか)す者(もの)無(な)かりき。申子(しんし)の學(がく)は、(四二)黄老(くわうらう)に本(もと)づき、(四三)刑名(けいめい)を主(しゆ)とせり。