気韻きいん)” の例文
旧字:氣韻
水に映って、それは閑雅かんがのちらちらであろうと思えた、この支流である飛騨川の峡谷はまた本流の蘇川峡とは別趣の気韻きいんをもって私に迫った。
木曾川 (新字新仮名) / 北原白秋(著)
この時春琴の姉が十二歳すぐ下の妹が六歳で、ぽっと出の佐助にはいずれもひなにはまれな少女に見えた分けても盲目の春琴の不思議な気韻きいんに打たれたという。
春琴抄 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
神の存在を認めないのではなく、この人々には、落ちついて、かんさびた気韻きいんに浴する余裕がないのだ——とすれ違った老人が、あきれたようにつぶやいた。
鳴門秘帖:04 船路の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
京で見る白菊は貴人の感じなれど、山路の白菊は素朴にしてかえって気韻きいんが高い。白雲の大湖水を瞰下みおろしてこの山菊を折る。ふたりは山を出るのが厭になった。
白菊 (新字新仮名) / 伊藤左千夫(著)
特にこの絵は非常な傑作で、簡単な素描ながら、その気韻きいんと香りの高さとには心のしずまるものがあった。
南画を描く話 (新字新仮名) / 中谷宇吉郎(著)
あのひとなどは、さすがに武術のたしなみがあったので、その文章にも凜乎りんこたる気韻きいんがありましたね。
花吹雪 (新字新仮名) / 太宰治(著)
閑花素琴かんかそきんの春をつかさどる人の歌めくあめしたに住まずして、半滴はんてき気韻きいんだに帯びざる野卑の言語を臚列ろれつするとき、毫端ごうたんに泥を含んで双手に筆をめぐらしがたき心地がする。
虞美人草 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
およそえものの和え方は、女の化粧と同じで、できるだけ生地きじの新鮮味をそこなわないようにしなければならぬ。掻き交ぜ過ぎた和えものはお白粉しろいを塗りたくった顔と同じで気韻きいんは生動しない。
食魔 (新字新仮名) / 岡本かの子(著)
そのすばらしい白と金とのむこうに恵那えな、駒ヶ岳、御岳おんたけの諸峰が競って天をしているというのだ。見えざる山岳の気韻きいん彼方かなたにある。何ともったぶどうねずみの曇り。
木曾川 (新字新仮名) / 北原白秋(著)
ようやく本来の気韻きいんと精神を失って、技巧化しつつある時流の水墨画にたいして、不満をいだき、やがて自身、技術からでなく、剣を道として悟得したものを筆に托して
随筆 宮本武蔵 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
泰西たいせいの画家に至っては、多く眼を具象ぐしょう世界にせて、神往しんおう気韻きいんに傾倒せぬ者が大多数を占めているから、この種の筆墨に物外ぶつがい神韻しんいんを伝え得るものははたして幾人あるか知らぬ。
草枕 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
その日一座に連なった幇間ほうかんも芸者もかねて聞き及んだ高名の女師匠を眼のあたりに見うわさに違わぬ姥桜うばざくら艶姿あですがた気韻きいんとにおどろかぬ者なく口々にめそやしたというそれは利太郎の胸中を察し歓心を
春琴抄 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
常に「白」の気韻きいんを香気を幻惑を愛する私にとって、これほどのこうごうしい魅惑はむしろ私を円寂境えんじゃくきょうの思慕にまで誘う。私はこれほどまでの石や砂の白い実相をかつて見たことがない。
木曾川 (新字新仮名) / 北原白秋(著)
どことなく気韻きいんとぼしい心持が、今までわれを苦しめてならなかった。
草枕 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)