気疎けうと)” の例文
旧字:氣疎
さや、夜鳥も啼かず、藪かげのとなりの寺もしんしんと雨戸したれ。時として川瀬のおとの浪のと響き添ふのみ。それもただ遠し、気疎けうとし。
「どうだか解りゃしない。行って見ないかと言う人があるの。」お庄は外の方を見ていながら、気疎けうといような返辞をした。
足迹 (新字新仮名) / 徳田秋声(著)
またこの「毛唐」がギリシアの「海の化けもの」kètos に通じ、「けだもの」、「気疎けうとい」にも縁がなくはない。
言葉の不思議 (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
若者は組み伏せられたまま左の腕を口にあてがって思いきりかみしばりながら泣き沈んだ。その牛のうめき声のような泣き声が気疎けうとく船の上まで聞こえて来た。
或る女:1(前編) (新字新仮名) / 有島武郎(著)
勝は外を通ってる人の声を聞いても時々気疎けうといことがありますぞな。ようあんな下卑げびたことを大きな声で喋舌しゃべってげらげら笑っておられると愛想がきてしまう。
入江のほとり (新字新仮名) / 正宗白鳥(著)
直射光線が気疎けうとい回折光線にうつろいはじめる。彼らの影も私の脛の影も不思議な鮮やかさを帯びて来る。そして私は褞袍どてらをまとって硝子ガラス窓をとざしかかるのであった。
冬の蠅 (新字新仮名) / 梶井基次郎(著)
どうせ、中学にゆけるんじゃなし、四年を卒業したらはやく何処どこかの工場に出て、おあしをとらなければならぬと思っている私には、そんなことはまったく、気疎けうとい話であった。
戦争雑記 (新字新仮名) / 徳永直(著)
或いは婦人に普通なる心弱さ、ないしは好奇心からではないかと、思うくらいに馴々なれなれしかったこともあるが、それにしては彼らの姿形の、大きくまた気疎けうとかったのが笑止である。
山の人生 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
時おり雲間を洩れる、信濃の高原——安曇の青野は、この日頃、かどかどしさと暗さに馴れた眼には、まったく別種の、気疎けうといほどのどやかな世界に見える。ふとどこかで雷鳴がする。
ある偃松の独白 (新字新仮名) / 中村清太郎(著)
世にも悲しげなるさまして、花をたむけ水をそそぎたるを見て、あな哀れ、わかき御許おもとのかく一〇二気疎けうときあら野にさまよひ給ふよといふに、女かへり見て、我が身よひ々ごとに詣ではべるには
気疎けうとそうな顔つきで、妻はぼんやりと焦点のさだまらぬ眼つきをしている。あの弱々しい眼のなかから、パッと一つの明るいものが浮びあがったら……彼は電車の片隅かたすみでぼんやりと思いふけっていた。
美しき死の岸に (新字新仮名) / 原民喜(著)
水の音がただ絶えず気疎けうとく耳についた。雪の中をオヴァシューズでS君の家の裏口の方から庭にまわった時にゴム底が凍った凸凹になっている雪の上を歩くたびに、ギュッ、ギユッと音をしてすべる。
土淵村にての日記 (新字新仮名) / 水野葉舟(著)
気疎けうといアロイヂオになつてしまつて……。
詩集夏花 (新字旧仮名) / 伊東静雄(著)
今のことはた気疎けうとくて
晶子詩篇全集拾遺 (新字旧仮名) / 与謝野晶子(著)
くすみきった男女の顔が、そこここの薄暗い店屋に見られた。活気のない顔をして職工がぞろぞろ通ったり、自転車のベルが、海辺の湿っぽい空気を透して、気疎けうとく耳に響いたりした。
あらくれ (新字新仮名) / 徳田秋声(著)
気疎けうとい睡気のようなものが私の頭を誘うまで静かな海のやみを見入っていた。——
冬の蠅 (新字新仮名) / 梶井基次郎(著)
ぴしゃぴしゃと気疎けうと草鞋わらじの音を立てて、往来を通る者がたまさかにあるばかりで、この季節のにぎわった様子は何処どこにも見られなかった。帳場の若いものは筆を持った手を頬杖ほおづえにして居眠っていた。
カインの末裔 (新字新仮名) / 有島武郎(著)
だるい体を木蔭のベンチに腰かけて、袂から甘納豆あまなっとうつまんではそっと食べていると、池の向うの柳の蔭に人影が夢のように動いて、気疎けうとい楽隊やはやしの音、騒々しい銅鑼どらのようなものの響きが
足迹 (新字新仮名) / 徳田秋声(著)