“斂(おさ)” の例文
「これは鬼神の食物を斂(おさ)める処である、酒を花の下に置き、犬をそこここの樹下に繋いでから、時刻のくるまでここに隠れているがよい」
美女を盗む鬼神 (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)
口上はいよいよ狼狽して、為(せ)ん方を知らざりき。見物は呆(あき)れ果てて息を斂(おさ)め、満場斉(ひと)しく頭(こうべ)を回(めぐ)らして太夫の挙動(ふるまい)を打ち瞶(まも)れり。
義血侠血 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
独眼龍(どくがんりゅう)などという水滸伝(すいこでん)式の渾名(あだな)を付けないでも、偉いことはたしかに判っている。その偉い人の骨は瑞鳳殿(ずいほうでん)というのに斂(おさ)められている。
綺堂むかし語り (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
杉風が作りし句合の如き、なほ滑稽を離るる能はざりしも、言語の遊戯に属する滑稽は早く跡を斂(おさ)めて、趣味の上の滑稽を主とするを見る。
古池の句の弁 (新字旧仮名) / 正岡子規(著)
実際またその頃から、女の旅をする者がめっきりと減った。歌比丘尼(うたびくに)は市中の売女(ばいた)となって、やがてまた跡を斂(おさ)めてしまった。
木綿以前の事 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
竜樹身を斂(おさ)め、王に依りて立つ。ここに於て始めて悟る、本の苦を為さんと欲して、徳を敗り身を汙辱(おじょく)せりと。
そしてその一時涌き立った波が忽(たちま)ち又斂(おさ)まって、まだその時から二時間余りしか立たないのに、心は哲人の如くに平静になっている。己はこんな物とは予期していなかった。
青年 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
燕将譚淵(たんえん)、董中峰(とうちゅうほう)等(ら)、南将荘得(そうとく)と戦って死し、南軍亦(また)荘得(そうとく)、楚知(そち)、張皀旗(ちょうそうき)等を失う。日暮れ、各(おのおの)兵を斂(おさ)めて営に入る。燕王十余騎を以て庸の営に逼(せま)って野宿(やしゅく)す。天明(あ)く、四面皆敵なり。
運命 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
その背部の蓑毛(みのげ)を胸の方の房々の羽毛が逆に下から逆まきにかぶせているのは、ウソの身体の中で、一番颯爽(さっそう)としているところだ。胸の羽毛は斂(おさ)めた翼の風切(かざき)りの上へまでぱらぱらとかぶさる。
木彫ウソを作った時 (新字新仮名) / 高村光太郎(著)
枕山が「二月二十日作」に曰く「天街塵斂静無風。羽衛煌煌晴旭中。満路哭声紛雨泣。霊輿今日入玄宮。」〔天街塵斂(おさ)マリ静カニシテ風無シ/羽衛煌煌タリ晴旭ノ中(うち)/満路ノ哭声紛雨ノゴトク泣キ/霊輿今日玄宮ニ入ル〕この日霊輿(れいよ)は西丸矢来門より竹橋を
下谷叢話 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
熱鬧(ねっとう)を極(きわ)めたりし露店はことごとく形を斂(おさ)めて、ただここかしこに見世物小屋の板囲いを洩(も)るる燈火(ともしび)は、かすかに宵のほどの名残(なごり)を留(とど)めつ。
義血侠血 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
普通人の生活で言えば、手織物と称する不細工(ぶさいく)でしかも丈夫な織物は、都会ではほとんと影を斂(おさ)めて、いわゆる紡績の糸で織ったつやのある木綿ばかりが、田舎(いなか)へまでも行き渡っている。
木綿以前の事 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
それで不断の肝癪は全く迹(あと)を斂(おさ)めて、何事をも勘弁するようになっていた。
じいさんばあさん (新字新仮名) / 森鴎外(著)
簀(さく)を易(か)え机(き)を按(お)き、花を供(くう)し香を焼(た)くような事は僕婢(ぼくひ)の為すがままに任せていたが、僧を喚(よ)び柩(ひつぎ)に斂(おさ)めることは、其命を下さなかったから誰も手をつけるものは無かった。一日過ぎ、二日過ぎた。
連環記 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
傍聴者は声を斂(おさ)めていよいよ耳を傾けぬ。威儀ある紳士とその老母とは最も粛然として死黙せり。
義血侠血 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)