揚屋あげや)” の例文
(二人は向うへ行きかゝる時、下のかたよりお作、十八九歳、祇園町の揚屋あげやの娘、派手なこしらへにて、手に桃の花を持ちて出づ。)
近松半二の死 (旧字旧仮名) / 岡本綺堂(著)
で、その奈良屋茂左衛門がまだ浦里を身請けしない前の、ある春の日のことであったが、取り巻を連れて吉原の新町の揚屋あげやで飲んでいた。
紅白縮緬組 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
おなじく二十六日には、千住三丁目の揚屋あげや大桝屋おおますや仁助のひとり娘でお文、十八歳。もっとも、これは根岸の寮に来ていて、そこから抜けだした。
顎十郎捕物帳:22 小鰭の鮨 (新字新仮名) / 久生十蘭(著)
同志の会合は人の耳目を欺くためにわざと祇園ぎをん新地の揚屋あげやで催されたが、其費用を払ふのは大抵四郎左衛門であつた。
津下四郎左衛門 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
揚屋あげや町、江戸町一丁目などという吉原遊廓の非常門のある、末は吉原土手に突きあたる通りにつながっている。
安い頭 (新字新仮名) / 小山清(著)
茶屋揚屋あげやの軒に余って、土足の泥波を店へどっと……津波の余残なごりは太左衛門橋、戒橋えびすばし相生橋あいおいばしあふれかかり、畳屋町、笠屋町、玉屋町を横筋に渦巻き落ちる。
南地心中 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
五十年輩の三味線弾しゃみせんひきを一週に何度か日を決めて家へ迎え「揚屋あげや」だの「壺坂つぼさか」だの「千代萩せんだいはぎ」に「日吉丸ひよしまる」など数段をあげており、銀子も「白木屋」から始めた。
縮図 (新字新仮名) / 徳田秋声(著)
あっさりその手を払いすてると、悠然として揚屋あげや町の方にまた曲って行きました。
しばらくは、おんなをよんで、いわゆるつうな“きれいごと遊び”に時をすごしていたが、そのうち斜向いの、わけて一軒すばらしい大籬おおまがき揚屋あげやに、チラと見えた歌舞かぶ菩薩ぼさつさながらの人影に
新・水滸伝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
私しなすは此上もなき不屆者ふとゞきもの伊東半右衞門は揚屋あげや入申付下役二人は留守居へあづつかは急度きつといましめ置と言渡され傳吉は出牢の上手當てあてして宿預け言付さげられけり又ごく月十日傳吉お專與惣次喜兵衞きへゑかん右衞門等を
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
お園は六三郎を揚屋あげやへ連れて行った。今夜は当分の別れである。格子の立ち話では済まされなかった。二人が薄暗い燭台の前に坐った時に、雨の音はまだやまなかった。
心中浪華の春雨 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
湯殿の次の揚屋あげやに腰打ちかけたまま、さらに、金奉行かねぶぎょうを呼びにやられた。
茶漬三略 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
申べしと有しかば四郎左衞門成程なるほど夫は手前かゝへ遊女うつせみと申者年明後井戸源次郎樣と申御宅へ縁付えんづきしに相違さうゐ御座なくかゝへたるせつは其者の二親は相果あひはてましたるとの事にて揚屋あげや町善右衞門養女やうぢよの由善右衞門よりねんぱい廿五歳までを
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
悲しいと怖ろしいとが一緒になって、お染はふるえながら揚屋あげやかどをくぐった。
鳥辺山心中 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
もちろん、その程度に、どこかの揚屋あげやで遊びぬいた挙句あげくに違いない。
宮本武蔵:06 空の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)