幽寂ゆうじゃく)” の例文
自ら信ずるにもかかわらず、幽寂ゆうじゃくきょうに於て突然婦人に会えば、一種うべからざる陰惨の鬼気を感じて、えざるものあるは何ぞや。
黒壁 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
今にも、こずえにしごきを投げかけて、幽寂ゆうじゃくな林の中に首をくくろうとする女。その後ろから、しッかりと抱きとめたのである。
鳴門秘帖:01 上方の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
主人を乗せた二匹の驢馬は、落葉の深さに少しの跫音も立てないで、静かに下闇したやみをたどります。獣も鳥も鳴かず、死の様な幽寂ゆうじゃくが森全体を占めています。
パノラマ島綺譚 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
たしかに幽寂ゆうじゃくの感をひくが、それが一つならず、二つならず、無数の秋虫一度にみだれむせんで、いわゆる「虫声満地」とか「虫声如雨」とかいうきょうに至ると
綺堂むかし語り (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
松林にも腕白わんぱくらが騒いでいた。良寛堂の敷地には亭々ていていたる赤松の五、六がちょうどその前廂まえひさしななめに位置して、そのあたりと、日光と影と、白砂はくさ落松葉おちまつばと、幽寂ゆうじゃくないい風致を保っていた。
木曾川 (新字新仮名) / 北原白秋(著)
しかし自分はこの音がきなので、林の奥に座して、ちょこなんとしていると、この音がここでもかしこでもする、ちょうど何かがささやくようである、そして自然の幽寂ゆうじゃくがひとしお心にしみわたる!
小春 (新字新仮名) / 国木田独歩(著)
予はにし年の冬十二月、加賀国随一の幽寂ゆうじゃく界、黒壁くろかべという処にて、夜半一箇の婦人に出会いし時、実に名状すべからざる凄気すごさを感ぜしなり。
黒壁 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
せき明神みょうじんいただきは、無明むみょう琵琶びわを抱いて、ここに世を避けていたという、蝉丸道士せみまるどうしの秘曲を山風にしのばせて、老杉ろうさん空をかくし、こけの花を踏む人もない幽寂ゆうじゃくにつつまれている。
鳴門秘帖:01 上方の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
もしそれ時雨しぐれの音に至ってはこれほど幽寂ゆうじゃくのものはない。
武蔵野 (新字新仮名) / 国木田独歩(著)
わけてこういう際は、誰しもつい顛倒てんとうして、よい思案のあってよいお人まで、かえって出ないものでござる。お互いが、茶の幽寂ゆうじゃくの中から、さかいの町を、どうしたら救い出せるか。
新書太閤記:03 第三分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
世間に何が起ろうと、配所はいつも幽寂ゆうじゃくな配所であった。知らぬ顔にしんとしていた。
源頼朝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
不意に消魂けたたましい女の叫びが、如意輪寺裏の幽寂ゆうじゃくの梅林につんざいた。——もう散り際にあるもろ梅花うめは、それにおどろいたかのようにふんぷんと飛片ひへんを舞わせて、かぐわしい夕闇に白毫はくごうの光を交錯こうさくさせた。
剣難女難 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
の路地を導かれて、そこの一室にすわると、ここにはまったくべつな天地がある。清楚せいそな自然と、幽寂ゆうじゃくな茶室の規矩きくにかこまれて、主客共に、血なまぐさいたましいから、しばし洗われていた。
新書太閤記:04 第四分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)