崋山かざん)” の例文
光琳こうりんの極彩色は、高尚な芸術でないと思っているのであろうか。渡辺崋山かざんの絵だって、すべてこれ優しいサーヴィスではないか。
如是我聞 (新字新仮名) / 太宰治(著)
崋山かざんに至りては女郎雲助の類をさへ描きてしかも筆端に一点の俗気を存せず。人品じんぴんの高かりしためにやあらむ。到底とうてい文晁輩の及ぶ所に非ず。
病牀六尺 (新字旧仮名) / 正岡子規(著)
「あのじじい、なかなかずるい奴ですよ。崋山かざん偽物にせものを持って来て押付おっつけようとしやがるから、今叱りつけてやったんです」
(新字新仮名) / 夏目漱石(著)
どこやらに出品したこともありますし、それに箱書は、渡辺崋山かざんがいたしておりますので——とその店員がいうので猶さら、吹出してしまいたくなった。
随筆 宮本武蔵 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
もう一つは真の開国派で、ふるくは安藤昌益あんどうしょうえき、佐藤信淵のぶひろから、渡辺崋山かざん高野長英たかのちょうえいを経て、ペリー来航当時は佐久間象山さくまぞうざん、橋本左内などがその代表者であった。
黒船来航 (新字新仮名) / 服部之総(著)
山陽の書を見てくれの、崋山かざんの画を鑑定しろのと申込んで来る茶人もいたが、そんなのは一切、道庵の眼中になく、一休禅師の筆蹟だけは相当丹念に見ました。
大菩薩峠:41 椰子林の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
丁度脇本楽之軒わきもとらくしけん氏から『新撰名品綜覧そうらん』の第一しゅうが届けられたが、そのうちの崋山かざん先生の異魚図いぎょずなども、一目見てすぐつばめうおと分って、独りで得意になった。
南画を描く話 (新字新仮名) / 中谷宇吉郎(著)
馬琴が蒲生君平がもうくんぺいや渡辺崋山かざんと交際したのはそれほど深い親密な関係ではなかったろうが、町家の作者仲間よりはこういう士人階級の方がかえって意気投合したらしい。
八犬伝談余 (新字新仮名) / 内田魯庵(著)
無理かも知れぬが、試みに画家に例えるならば、栖鳳せいほう大観たいかんの美味さではない。靫彦ゆきひこ古径こけいでもない。芳崖ほうがい雅邦がほうでもない。崋山かざん竹田ちくでん木米もくべいでもない。呉春ごしゅんあるいは応挙おうきょか。ノー。
河豚は毒魚か (新字新仮名) / 北大路魯山人(著)
春耕名は峻、字は子徳。弘化二年江戸に生れ、わかくして大坂に赴き魚住荊石うおずみけいせきの門人となり、江戸に帰って後、秦隆古はたりゅうこ、山本琴谷きんこく福田半香ふくだはんこうの諸家についてもっぱら渡辺崋山かざんの筆法を学んだ。
下谷叢話 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
ただし俳諧の方には北斎・崋山かざん暁斎ぎょうさい清親きよちかを経て、現在の漫画隆盛に到達したような閲歴は無く、人はただ発句ほっく出丸でまる籠城ろうじょうして、みずから変化の豊かなる世相描写を制限することになったが
木綿以前の事 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
崋山かざんの『一掃百態』はその筆勢のたくましきことと、形体の自由自在に変化しながら姿勢のくづれぬ処とは、天下独歩といふてもよいが、しかし『文鳳麁画』に比すると
病牀六尺 (新字旧仮名) / 正岡子規(著)
自分は金の調達ちょうだつを引き受けた。その時れは風呂敷包の中から一幅の懸物かけものを取り出して、これがせんだって御話をした崋山かざんじくですと云って、紙表装の半切はんせつものをべて見せた。
永日小品 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
蕪村ぶそんとか崋山かざんとかいうような清廉せいれんな画家になるだろうと思ったら大ちがいでした。
雨瀟瀟 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
御祖母おばあさんは去る大名の御屋敷に奉公していた。さるの年の生れだったそうだ。大変殿様の御気に入りで、猿にちなんだものを時々下さった。その中に崋山かざんいた手長猿てながざるふくがある。
永日小品 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)